インディアンの魂の叫び
20世紀〜近代編
現代もk虐げられている彼等インディアンの叫びを!

 

名前と部族名

魂の叫びの記録

ブラックエルク
オガララ・ラコタ族(スー族)
我々がする事はなんだって、
輪を描いている事に気が付いたろう?
世界の力は、何時だって輪をなして動いている。
何もかもが、巡り巡ろうとしているのだ。
世界の力が成す事は、みんな輪を描く。
ほら、空は円い形をしているだろう?
星は、どれも円いときいている。
風だって一番勢いのある時は渦を巻いて吹くんだ。
鳥達も円い巣を作る。鳥も我々と同じく、 大いなるものに身を委ねているからな。
太陽だって弧を描きながら、昇っては、沈んでいく。
月もそうだ。太陽も月もその姿は円い。
季節ーこれも大きな輪をなして移り、元の所へ戻っていくんだ。
人の命も輪を描いている。
子供の時代からまた次の子供の時代へと。
輪は、世界の力が働く全ての内に巡っているんだ。

(1930年頃)

平和・・・それは、魂の内にやってくる。
人々が宇宙と繋がり、その全ての力と繋がって一体となっている事に気が付く。
その時平和がやってくる。
宇宙の中心に大いなるワカンタンカが宿っていると悟った時また、実は宇宙の中心がどこにもあって我々一人一人の中にもあるんだと判った時、心に平和がやってくる。

1947年

我々は昔、自分の土地で幸せに暮していた。
さほど腹を空かせる事もなく、二本の足で歩くものは皆、一緒に親戚の様に暮していた。
我々も他の者も、満ち足りて暮していたんだ。
 ところが、白人達がやってきた。
彼等はいくつもの狭い土地に我々を押し込めた。
四本の足で歩く者たちも、別の狭い場所へと追いやった。
土地は今もどんどん狭くなっていく。
大地を削りながら流れる洪水の様に、白い連中が押し寄せてくる。
その水は嘘と欲で濁りきっている。
(1932年)

いいかい、昔は結婚したいと思う娘を手に入れるのは、そんなに容易い事じゃなかった。
時として、若者にとっては、とても苦労する事だった。
色々な試練を耐えなければならなかったからだ。
(1932年)

ポリンゲィシー・コヤウェイマ
ホピ族
誰だって批判されるのは好きじゃない。
しかし、批判というのは、砂漠を吹く風の様なもんだ。
風が柔らかい茎を鞭打って吹くものだから、風に負けまいと深く深く、地中に根を下ろすようになるわけだ。

1964年頃

我々は一人きりで歩いているんじゃない。
すぐ隣を〈守護霊〉が歩いてくれている。
その事をちゃんと知って有り難く思いなさい。

1964年

ジョン・レイム・ディアー
ローズバット・ラコタ族(スー族)
愛は死ぬ時に、後に残していけるモノなんだよ。
それくらい、力強いもんなんだ。

1974年頃

笑いーそれは、魂によって大切なものなんだ。
特に我々、ラコタにとってはな。

1972年頃

ドン・タレイシュバ
ホピ族
泣く事を恐れるな。
涙は、悲しい思いを心から洗い流してくれる。

1940年頃

アル・コヤウェイマ
ホピ族
真実を捜し求めなさい。
科学技術を人類向上に役立てるには、どうすれば良いか?
ホピの価値観は、全体を見渡した上で、その為の道筋を指し示す。

1984年

タタンカ・マニ
ストーニー族
わかっているだろう。
丘はいつ見ても、石造りの建物よりも美しい。
街での暮しは、人工的な生活に過ぎないんだ。
みんな、自分の足で本物の土の感触を味わう事すらできない。
鉢植えでしか草木の成長を楽しめないし、満天の星空の美しさだって近くの街灯に邪魔されて台無しだ。
グレートスピリットが創り出す光景から遠く離れて暮し始めたらグレートスピリットの掟をすぐに忘れてしまうよ。

1958年

タートル・ハート
テトン・スー族
本性の働きを最も妨げるのは、知性だ。
白人の頭の様に理詰めで考えるようになれば本性の領域へは足を踏み込めなくなってしまう。
事実、人は〈聖なる神秘〉の英知を突詰めようとしなくなった。
1967年
ホーレス・アクステル
ネズ・パース族
この土地に沢山の宗教がもたらされた。
私の信仰のあり方は、全ての宗教に敬意を払う事だ。
昔も今もそう教えられ、告げられもした。
そして私は今もその通りにやっている。
眼を閉じる最期の瞬間まで変わる事はない。
自らの創造神を信仰している人となら、信仰は異なっても共に佇み、共に祈れるのだ。

1992年

ドン・ホセ・マツワ
ヒューイコール族
教えは皆の為にある。
ヒューイコールの為だけではない。
以前なら白人は学びたいなんて思いもしなかった。
我々の事を野蛮人だと思っていたからさ。
今の白人達の考えは昔とは違う。
是非とも学びたいと思っている。
我々は皆、神の子なんだ。
伝統の教えはそれを学ぼうとする全ての人に開かれている。
ところで、一体誰が心底学びたがっているのだろう。

1989年

フライング・ホーク
オガララ・ラコタ族(スー族)
白人はグレートスピリットに従わない。
だから、ラコタの民は白人の言う事成す事にどうしても納得がいかないし、同意できないのだ。

1947年

サンダー・チャイルド
プレーンズ・クリー族
信仰の自由が単なる建前、嘘っぱちにすぎないこんな国で、物事が巧くいくかい?
どんな民族だって、それぞれの神を探し出す明かりが与えられているし、神に仕えたいと願う独自のやり方を見出しているんだ。
自分達が納得している正しいやり方で信仰しないのなら、信仰の力は役に立たなくなってしまうよ。

1973年

バイン・デローリア・シニア
ヤンクトン・スー族
我々は一人の神を信じていた。
グレートスピリットを。
我々は、我々だけの〈十戒〉の様なものを信じていたんだ。
そしてまるでお前達の〈十戒〉を信じているかの様に振る舞ったのさ。

1968年

バイン・デローリアJr
ヤンクトン・スー族
私の部族が知識を蓄積するやり方は、西洋科学よりも洗練されて全てを包含するやり方である事は間違いない。
我々にとっては当たり前の知識でも白人科学者達が見つければ、大発見と見なされる。
しかし、我々の眼から見ればそんな事はたがが、子供の遊びだ。
伝統を受け継ぐ人々が当然の事として若者に身につけさせる知識なのだ。

1992年

オレン・ライオンズ
(オノンダーガ族)
時代は変わるが、根本の原理は変わらない。
時代は変わるが、大地は変わらない。
時代は変わるが、我々の文化や言葉は昔のままだ。
お前達が損なわずに守っていかなければならないのは、それだ。
外に纏まっているものばかりでなくて、心の中にあるものだ。
そこが肝心な分かれ目。
帰るべき家を忘れるな。

(1992年)

プレザント・ポーター
(クリーク族)
経験こそが一番優秀な教師だ。
歴史を見ろ。無理矢理押し付けられた文明が定着して本物になった例なんて何一つないじゃないか。

(1973年)

ルーサー・スタンディングベア
(ラコタ族)
(スー族)
今、私が導かなくてはならない子供かいて、人生の旅に送り出そうとしていたら、そして、自然と共にあった先祖の生き方と白人の文明のもとにある現在の生き方との、どちらかを選んでやらなければならない責任に直面していたなら、私はその子の幸福の為に躊躇う事なく先祖の道を歩ませるだろう。
私は、その子を<ラコタ>として育てるだろう。

(1933年)

ジョン・スノー
(ストーニー族)
この<大いなる島>(アメリカ)の中で我々の誇り高き歴史に匹敵するもの、凌ぐものはない。
我々はこの美しい大地にもともと住んでいる者の一人として、皆堂々と胸を張っていい。
そして、「私はストーニー」だと言おう。
自然と調和して、グレートスピリットが創造した生き物達と協調して生きる事、それが、我々、ストーニーの哲学だ。
この哲学は、将来、この<大いなる島>に暮す多くの民族や様々な文化、色々な言語の基盤になっていくであろう。

(1976年)

バッファロー・バード・ウーマン
(ヒダッツア族)

(詩)

私は、もう随分歳をとったおばあさん。
群れをなしていたバッファローや、大鹿は、もういない。
私達、ヒダッツアの暮らし方だって殆ど消え去ろうとしているわ。
 時々ね、昔あんなふうに生きていた事が信じられなくなるの。
でも、遠い昔の暮らしが忘れられない。
ヒッダッツア族が暮していたあの村が見えるような気がするの。
家から煙がユラユラ立ち昇るのが見えたり、川の轟きの中に戦士の雄叫びや小さな子供達の笑い声が聞こえてくるわ。

そうよね。・・・・・・・・・・・・・・・・
年老いたおばあさんの夢にすぎないわ。
わかっているの。
私達ヒダッツアの暮らしはもう二度と戻らないって。

(1926年)

アラン・ウィルソン
(ハイダ族)
部族の長老は、なくてはならない存在だ。
若い者たちも本当に重要な存在だ。
この両者こそが我々の未来なのだ。
若者がもっている新しい知識と長老が前の世代から受け継いだ知識とを巧く組み合わせたなら若い世代が育てる子供達に、そのまた子供達にと伝えていけるものが生まれるだろう。

(1992年)

プリティーシールド
(クロー族)
あの頃、私達クロー族は逞しかった。
氷混じりの水の中に落ちたって、そこから這い出し濡れた服を脱ぎ雪に体を擦り付けながら転げまわった。
その後、ギュっと絞った服をもう一度着る。
濡れた事なんか、さったと忘れてしまっていた。
バッファローを狩る男達はいつだって、雪や砂で手をこすっていた。
だから、その指で素早く弓矢を扱えたの。
今の私達ときたら、手には手袋を、体には洋服を一杯着込んでいる。
軟弱になってしまったわ。
泥の様にね。

(1925年頃)

ドロシー・ヘイバーマン
(ユーロック族)
私達は、過去の生き方をしっかり見つめなければなりません。
心の中に伝統をしっかりと刻み込み、同時に変わらなくてはいけません。
生き抜く為には、絶えず、変わっていく事を受け入れなくてはいけないのです。

(1992年)

村のある賢者の言葉
(スー族)
部族の者達の誇りは、
女達のモカシンの足跡で占える。
だから、正しい道を歩きなさい。
娘よ。従順で礼儀正しく、優しく控えめでいなさい。
そして、胸を張って歩きなさい。
大地の確かで暖かな心をもって強くありなさい。
自分達の女が弱く、恥さらしで野垂れ死にでもしようものなら、部族の誇りはしぼんでしまう。
強くありなさい。
お前に宿り、お前をとりまく、<おおいなる力>を歌い上げなさい。

(1961年)

フィル・レイン・シニア
(ヤンクトン・スー族)
女達を、そう、我が部族の女達に大いなる敬意を払いたい。
男は互いに殺し合う事は出来るだろうが、とても女には叶わない。
ほら、女の膝の上であの子はあんなに安心しきっている。
ところが、男のお前は、あの男の子を何度でも殺しかねない。
だがな、女のあの、優しい膝の上から男の子が次から次へと繰り出して来るんだ。

<大いなる歓び>の贈り物として生まれてくるんだよ。
それに関しちゃ、男は単なるお相手にすぎない。
俺達は、それだけのもの。
ただのお相手さ。
女は、たった一夜しか俺達を必要としない。
 俺達ときたら、鷲の羽根や戦いの冠(ウォーボンネット)やらなんやらを、身に付けてここに突っ立っている。

あちらさん、ヤンクトンの女達は、実に優雅で美しく優しく、気立てが良い。
まあ、ともかく、男という人種は女達のお陰でやっていけるんだよ。

(1992年)

ローレイン・カヌー
(モホーク族)
今の文化の主流では女性の創造意欲に全く敬意が払われていない。
外に出て女性の姿を観察すれば、現代の文化が重い病に犯されている事にはっきり気付くでしょう。

(1991年)

アデライン・ワティナ
(メスクァキー族)
男はビジョンを掴む力がある。
女は子供を授かる。

(1980年)

ジョン・トマス
(ヌー・チャー・ナルス族)
或る日、叔父が来て、言った。
「お前はどこかおかしいな。きちんと歩いていない。」
「私のどこが変なのですが?」私は尋ねた。
男らしさを鍛える訓練を私に施したのはこの叔父だったからだ。
「お前には、妻が必要だ。そうすればお前は完璧さ。妻がお前に足りない自然の力につなげてくれるよ。妻とは、そーいうもんさ」

(1986年)

フィル・レイン・ジュニア
(ヤンクトン・スー族)
長老達は、こう言います。
『人生で歩まねばならぬ一番の長い道のりは、ここからここまで、つまり、頭から心までの道のりだ』と。
また、こうも言います。
『指導者として村の皆に話が出来る様になるのは、その道を戻って来てからだ。
心から頭へ戻ってからだ。』
デニス・サン・ローデス
(アラバホ族)
ティピーは、始まりも終わりも無い円い空間を包むものだ。
それに対してログ・キャビンは、壁の始まりと終わりを区切る正確な寸法にしたがった四角いスペースを創り出す。
ログ・キャビンのこのようなデザインは、インディアン的な生活スタイルとは、全く異質の生活スタイルを反映している。

すなわち、テクノロジーの道具や手段に溢れた物質世界の中にあっては、正確な距離、正確な時間の経過、論理的な枠組みそして、科学上の疑問には、たった一つの限定された答えだけを
見出す事
が要求されている、と云う事を示す好例なのだ。
平原インディアンの創案になるティピーは、南北アメリカの建築の一つに大きな貢献を果たしている。

ティピーは部族の人達に一つのスペースを順繰りに自在に使いまわせる事を教えたし、また、ティピーに備わった公共的な特性は、部族の人々の互いの繋がりを深める事に役だったのだ。

1993年
ラッセル・ミーンズ
(ラコタ族)(スー族)
年を重ねた人達は、こう言った。
『辛抱するんだ、若いの、周りをよくみてごらん、いったいお前が誰なのか、どこから来たのか、何故、どこへ向かおうとしているのか、
ようく考えてごらん、時はお前の味方だ。
 誰かが時計を発明したからといってなにもお前が人生を急ぐ必要は、無い。時計なんてモノは、人を主人の命令どうりに動く様に仕込む為の道具にすぎない。
時は、お前の味方なのだ。その事が判ってくれば、お前は、いつか、時の有効な使い方を身につける。
そうなれば、もはや人生は厄介ごとじゃなくなる。
今日をどう過ごすか悩む事もなければ、十代の日々をどう過ごすかなんて事に頭を抱えなくてすむ。
何も問題は、無い。
もう時間なんてモノは、存在しないと同じだって事がお前には、判っているのだから。

1988年

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