史上最も有名なインディアン戦士ジェロニモの戦い

ジェロニモ
チリカウア・アパッチ族
本名  :ゴヤスレィ(あくびをする者)
(1825年〜1909年)
出身地:アリゾナ州

インディアンと云えば最初に思い出される程有名な戦士。数々の伝説を生み、西部劇でもしばしば取り上げられている。


ジェロニモが生まれたのは1825年頃出身地は、アリゾナ州南部
を流れるヒラ川の近くだった。
 親が最初につけた名前は「ゴヤスレー」または「ゴヤークラ」で
意味は「
あくびをする者」であった。
1854年、彼が30歳の時にメキシコに暮していた彼等の集落をメ
キシコ軍軍隊が襲い、彼の母親と妻、3人の子供を虐殺した。
怒りと復讐に燃えたジェロニモは数ヶ月後、大勢の仲間と共にメ
キシコ人の町を襲った。
その時、猛り狂うジェロニモの勇猛果敢な戦い振りに恐れをなし
たメキシコ人達が「
うわ〜ジェロニモだ〜!!」と叫び、それ以来
彼は仲間内でも「
ジェロニモ」と呼ばれるようになったとされている。
何故、メキシコ人が彼を見て「ジェロニモ」と叫んだのかは、はっき
りしない。
一説によると
聖ジェロームの加護を求めて「ジェローム」と避けんだ
のが、ジェロニモに聞こえたのだといういい伝えがある。

1848年、それまでメキシコの領土だった南西部は、アメリカ合衆
国の支配する地となった。
やがて、合衆国政府は、アパッチ族をインディアン居留地に押し
込めようとした。
ジェロニモは居留地を嫌い、仲間と共に自由を求めて居留地から
の脱走を繰り返した。
その度にアメリカ軍は、彼を追撃し居留地に連れ戻していた。
 居留地を抜け出したジェロニモたちは、国境を越えてメキシコ領
のシェラマドレ山脈に逃げ込んだ。
そして、旅人や、開拓者たちから、食料や毛布、馬、武器などを
略奪しながら逃亡生活をつづけた。
逃走と略奪に際して、一般市民をその時殺してしまう事も度々あり
付近一帯を恐怖のどん底に陥れた。
その様子を新聞や雑誌が誇大に伝えた結果、アメリカ中に彼の
名を知らしめる結果となった。

1867年から10年間にジェロニモと彼の仲間は居留地から4回
逃走した。
最後の逃走では逃げ続けるジェロニモ以下24人のアパッチを
追うのに当時のアメリカ軍の4分の1に相当する5000人の兵士
が動員された。
それでもジェロニモたちを追いつめるのに半年もかかった。
アメリカ軍の兵士も厳しい訓練を受けていたのだろうが、アパ
ッチ戦士が子供の頃から積み重ねてきた訓練とは比べ物に
ならなかった。
しかも、戦士達は付近一帯の地理を知り尽くして荒野で生き
抜く術にも精通していた。だからゲリラ戦にかけては、合衆国
兵士は、アパッチ族の敵ではなかったようだ。
アメリカ軍は、圧倒的な兵力と優秀な武器、そして合衆国に
味方して仲間を追跡するアパッチ族斥候たちの手助けを借り
なければ、ジェロニモの一行を追いつめる事は到底不可能だ
ったそうである。
ジェロニモが合衆国軍の軍門に下ったのは、1886年9月4日。
この日、合衆国とアパッチ族の戦争は終わった。
荒野を縦横に駆けぬけ、アメリカ軍をキリキリ舞いさせたジェロ
ニモも当時60歳を越えていた。


 

Ads by TOK2