『私はもはや戦いに疲れた』
ネズ・パース族ジョセフ酋長

グレートペイスン(大盆地)の部族ネズ・パース族

オレゴン州南部、アイダホ、ネバダ、ユタ、ワイオミング、コロラド、アリゾナ州 北部にまたがる広大な砂漠地帯を「グレート・ベイスン」(大盆地)と呼ぶ。
グレート・ベイスンの北部から土地が少しずつ上がり坂になってプラトー地域の 山や森、川へとつながっている。
プラトーは、カナダのブリティッシュコロンビア州内陸部、合衆国のワシントン 州、オレゴン州北部、アイダホ州、それにモンタナ州西部にまたがっている。
このあたりでは狩猟が主な生活手段で様々な部族が生活していた。


ジョセフ酋長(Chief Joseph)
(ネス・バース族)
本名 :Hinmaton Yalakit

    (1840-1904)
出身地 オレゴン
インディアンが生んだ最高の指導者

その中で有名なのが西部開拓史上に名高いジョセフ酋長率いるネズ・パース族が含まれていた。
ネズ・パース族は、平原インディアン(スー族、シャイアン族等)の文化を取り入れていた。
その中でアメリカインディアン史上最高の指導者として名高いのが、通称ジョセフ酋長である。
本名は、Hinmaton Yalakitというが、やはりシッティング・ブルやレッド・クラウド同様英語名があり、Thunder Rolling Down the Mountainといい「山から駆け下りる雷」といったところか。
「ジョセフ」の名前は彼の父親が1838年キリスト教の洗礼名として使っていた名前を息子Hinmaton Yalakitに与えたモノであると伝えられている。
ジョセフは、ネズ・パース族最初のクリスチャンであり、白人との和平協定主義者であり活動家であった。
1855年には、ワシントン州からの計らいでオレゴン〜アイダホへと居留地が広がる。
しかし1863年ゴールド・ラッシュの波がネズ・パース族のテリトリーに迄押し寄せた。
数ある史実同様間単に条約は覆された。居留地の内600万エイカーを返還するように合衆国政府より要請を請けたジョセフは、無論これに応じなかった。
従来の居留地の10分の1のスペースにしかならなかったからである。
1871年ジョセフの父親が亡くなり部族を引き継ぐ事になった。


ワロア峡谷からラプワイ居留地(アイダホ)への移動を迫られていたネズ・パース族は1873年より激しい抵抗をみせた。
合衆国政府は、彼等の叛乱を静め様とやっきになり、1877年オリバー・ハワード将軍率いる騎兵隊のにより、一度は、勝利を収めた。
しぶしぶアイダホに向かう事になったジョセフ達であったが、スネーク川を渡っていた時白人の馬泥棒が馬を盗んでいった。
ネズ・パース族は、家畜を品種改良して優れた馬や家畜を創り出していた為、白人達が度々盗みにやってきたのだった。
居留地の大幅な縮小と白人の略奪に怒った若い戦士達が移動を中止する様ジョセフに求めた。
これに対し再び合衆国政府は軍隊を総動員したがジョセフ酋長と副官のルッキング・グラスの見事な指揮のもと、少なくとも5つの連隊の攻撃をかわした。
そして、インディアンに対しての扱いが合衆国ほどひどくないカナダへ向かって移動していった。
この移動(退却)は合衆国のインディアン史上最長とされている。
ジョセフ酋長が、戦いながら1550キロも移動し、あとカナダまで75キロの地点で傷つき飢えて心身共に疲れ果て包囲されたのは、1877年10月5日のことだった。
降伏したジョセフは、合衆国インディアン史上に残るスピーチを遺している。


★私はもはや戦いに疲れた★
Ioking Glass is dead. Toohoolhoolzote is dead.
T am tired of fighting. Our chiefs are killed.
Lohe old men are all dead. It is the young men who say, "Yes" or "No."
He who led the young men is dead. It is cold, and we have no blankets.
The little children are freezing to death.
My people, some of them, have run away to the hills, and have no blankets,no food.
No one knows where they are -- perhaps freezing to death.
I want to have time to look for my children, and see how many of them I can find.
Maybe I shall find them among the dead.
Hear me, my chiefs!
I am tired.
My heart is sick and sad.
From where the sun now stands I will fight no more forever.

「私はもはや、戦いに疲れた。
私の部下の指導者達は殺された。
イエス、ノーを云ってくれるのは皆若い者ばかりだ。
若い者を指揮していた者も死んでしまった。
そしてこんなに寒いのに 我々には毛皮が無い。
幼い子供達は凍え死のうとしている。
私の部下の何人かは丘の上の方へ逃げていったが、やはり毛皮も 食べ物も持っていない。
彼等が何処へ行ったかは、誰にもわからない。
・・・・・・・恐らく凍え死ぬ事であろう。
どうか、我々に子供達を探す時間 をくれまいか。
やってみたいのだ。
多分、死んだ姿で彼等を発見するだけだろう・・・・
聞いて欲しい・・・・私はもはや疲れた。
私の心は、病んで、悲しみに くれている。
今この瞬間から私は永遠に二度と戦いをする事はない・・・・・」
1877年10月5日


このスピーチは、後にインディアンのスピーチには数多く引用されるようになった。
政府もネズ・パース族の勇気と見事な作戦に感動してもとの居留地に暮らす事を認めた。
その後政府がネズ・パース族全員をインディアン準州へ移すよう命じた時は白人達が大反対して1884年アイダホ州に居留地が設けられた。

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