海洋インディアンの文化と歴史
19世紀〜近・現代の海洋インディアン
追われいく部族達


19世紀になって、金属の工具が入ってきた事と毛皮の交易で豊かになった事により、 それまでにも増して大胆に、また大量に作品を彫るようになった。

こうした傾向は今でもあちこちで見られるが、どれも伝統的な 様式を忠実に守り続けている。
特にクワキウトル族は、数多くの面やトーテム・ポールを造っている。
しかし、造っている人たちは、才能のある職人ではなくプロの 芸術家で、主に金持ちの収集家や博物館の依頼で造っている

たまにインディアンからの頼みで造る事もあるが大抵、観光客めあての 見せものに使われる。
さらに、今日ではこのトーテム・ポールが統一インディアン運動 に組みこまれて、ネバダやフロリダでさえも、トーテム・ポールを 見かけるようになっている。
平原インディアン6文化(イロコイ同盟)とプェブロ・インディアンの 儀式が混ぜ合わされて、「トーテム・ポール民族」〓統一インディアン運動のシンボル〓の統合文化 が出来 た。
北西太平洋のインディァンと白人との関わりは、ロシァ人の探検家 に始まってイギリス人アメリカ人と続いていった。
当然の事ながら、この新しくやってきた白人たちは、やがて インディアンの土地を侵略しはじめた。はじめのうちインディアンは、 自分たちの領地に白人が居留地をつくるのに抵抗した。
そして1799年にはトリンギット族がロシアの交易市場を襲撃し1852年には、 ハドソン湾会杜、が内陸につくった通商屠留地をチルカット族が跡形も無く 打ち壊した。

 しかしインディアンの暮らしに実質的な最初の打撃を与えたのは、 捕鯨船と猟師、それに植民者たちだった。
こうした未知の強カな力に圧倒されてインディアンの武力抵抗は、 殆ど役に立たなかった。
 ここで言える事は、毛皮の交易でインディアンが豊かにななり ポトラッチの為の品を買うゆとりが十分に出来た事である。
しかし、皮肉なことに、この豊かさによって、ポトラッチ制度は 崩壊することになった。
この相互に「与える」制度は、もともと経済を安定させる為のものだったが、いつのまにか、つまらない見栄の張り合いに なってしまったのである。
政席の後援をうけて活動していた宣教師たちが、ポトラッチ を野蛮な慣習だとして禁止した事からこの地域のインディアン 文化は、根底から崩れた。
  更に、白人植民者や、沿岸や川に大挙してやってきた 漁船団のために、インディアンの土地と食糧が急速に減っていった。
このため、白人の指導で、「土地を耕し」白人がインディアンの 役にたつだろうと考えた作物(例えばジャガイモ)を植えることになったが、 結果はひどいものだった。
そのうえ、正式にインディアンに与えられたわずかな土地 さえも、白人たちにとりあげられた。
こうしたひどい不正に対して抵抗すれば、平和を乱すとして全て 処罰されたという。
1970年以来、自分達の暮らしが壊れていくのをただ黙って見て いるだけでは、いけないと、考えるインディアンが増えている。

ワシントン州では、「フィッシュ・イン」による積極的な抵抗を続 けている。
フィッシュ・インというのは、保留地の水域の外で、免許無しに 漁をする事。
インディアンの言い分は、自分たちが政府と結んだ条約に免許 の事など書かれていなかったというものである。
近年、あちこちで衝突が起きていた。
不法侵入で捕まるインディアンの漁師はあとを絶たないが、 小競り合いや処罰、当局のあの手この手の対策など、 ものともせず漁に出掛けていた。

近年カナダでも合衆国でも、インディアンは、漁業協同組合を つくって自衛しようとしていた。
ワシントン州のルミ協同組合は1974年以来、 水揚げした魚を西ヨーロッバヘ売ろうと努力を続けている。
こうしたインディアンの協同組合に対して、白人の水産会杜 からは、共産主義的だという強い反対がおこっていて、
缶詰工場や白人の会杜の漁船で働かせようと運動して いる。

インディアンは大抵、自分の舟を1隻かそれ以上もっていて 協同で漁をしているが人口の急増によって、インディアンが 暮して行く上での、また新たな不安が出てきた。
せまい保留地に押し込められ生活の糧を奪われて、かつて あれほど豊かだった人々が貧しさと病気に悩まされているし、 若者の間では、自殺の割合がかなり高くなっている。

近年では、多くのインディァンが、林業に目を向け始めていた。
すでに述べたとおり、この数年の間に、北米インディアンの間 に、民族的な誇りをもとうとする新しい動きが現れてきた。

誇りをもち、自立して一人前の市民権をとろうという努力を していることは、トーテム・ポールや 工芸品を造っている事にも表れている。
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