白人VSインディアン抗争史〜概説〜

ジョン・ウェインを筆頭とするハリウッド西部劇の世界(昔の)では、 野蛮で狂暴な蛮族であり、白人開拓者を虐殺、略奪という非道 な蛮行を重ねて来たインディアン。
1960年以前位の名作と呼ばれる対インディアン抗争を扱った 作品の殆どが、彼等のイメージを決定的にしたものであった。
 しかし、実際の所は、どうだったのだろうか。
大航海時代が終わりイギリスやフランスから右も左も判らずに 大陸への植民を夢みた開拓者は、インディアンの助けなくしては 生きていく事は出来なかった。
人間の欲望は果てしない。
特に文明を持ち、貨幣経済が成立 した世界の民族は、ともすれば同じ赤い血が流れる人間に対し とても人間の成し得る行為とは、思えないような非道をはたらく ことがある。
全ては、「貨幣」という悪魔の傀儡となっての 狂える思考である。
今、ここに、アメリカの裏面史、インディアンの悲劇を検証!!

年代

戦争・事件

概説

1675年

1678年
キング・フィリップ戦争 マアチューセッツ。
ワンパンノグア族、ニアンテック族ペンナクック族、 ノーセット族の連合軍と開拓者の戦争
1799年 トリンギット族のロシア交易市場襲撃 北大西洋岸(アラスカ)に居住するトリンギット族。
この地方のインディアンは、早くから白人と関わり があり、ロシア人の探検家に始まりイギリス、アメ リカと続いた。白人たちがインディアン居留地に 入り込み始めた為。
1812年 バトンルージュ戦争 クリーク族と白人植民者との戦争。
アンドリユー・ジャクソン台頭。
1814年 ホース・シューベントの戦い クリーク族大敗。ジョージア、テネシーからフロリダ へ追われる。
1816年

1818年
第一次セミノール(族)戦争 アメリカ軍がフロリダへの逃亡奴隷(黒人)探す為 セミノール族の拠点を襲った為始まる。
1832年

1841年
第二次セミノール戦争

ペインズ・ランディング条約
セミノール族は、3年以内にフロリダから退去する 様に命令された。(強制的条約)
これを拒んだセミノール族大酋長オセオラが部族 を率いて立ち上がった。

オセオラ、抵抗運動を組織する。
同年の12月28日キング砦(フロリダ)の戦い
同年の12月28日ウィスクラーチの戦い

1836年〜1837年、アメリカ軍は、何回も遠征隊を 送ったが失敗した。
セミノール族はエヴァグレーズ に撤退した。

1837年12月25日オキチョビ(フロリダ、オキチョビ湖)          の戦い

1837年、和平会談と称し、オセオラを騙し討ち。
1838年1月30日、マリオン(モルトリ)砦の独房で            死亡
1841年セミノール族、降伏。

1832年 ミシシッピ川の戦い ソーク族ブラックホーク軍VSエイブラハム・リンカーン軍 カンザス州及びインディアン準州に追い込まれる。
1838年

1839年

「涙の行進」トレイル・オブ・ティアーズ
チェロキー族

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1841年 サンタフェトレイルの幌馬車襲撃 カイオワ族。
テキサス〜ニューメキシコへの交易ルートで白人の
幌馬車を襲う。
1854年 「西へ行く」(ゴーウェスト)〓死にに行く コマンチ、カイオワ−アパッチ、クロウ、シャイアン、 アラパホ、オセージ、ソーク、フォックス族が同盟。
「西へ行く」が「死にに行く」を意味する様になった。

スー族、シャイアン族等の平原インディアンとの戦争

1862年 ミネソタ峡谷の叛乱 サンティー(スー)族。
南部同盟が敗北して条約にあった年金を支給しない。
数週間で1000人の白人を倒したが結局敗北。
エイブラハム・リンカーンは、38人のインディアンを
絞殺刑。
1864年 シヴィングトンの大虐殺 別名サンド・クリークの大虐殺
映画「ソルジャー・ブルー」のモデル。
休戦中のシャイアン族の女性、子供150人を残虐非道 な手口で大虐殺。アメリカインディアン抗争史上最悪の 悲劇。
1865年 プラケット橋の戦い オレゴントレイル
1866年 レッド・クラウドの戦い 西部ダコタ族と合衆国軍の戦争。
オグララ(スー)族の天才軍師レッド・クラウド率いる インディアン軍が勝利を収め続けた。
1866年 フェッターマン大虐殺 ワイオミング。
スー族により、ウイリアム・フェッターマン率いる81人 の部隊を全滅される。
数少ないインディアン軍の勝利
1867年 ヘインフィールドの戦い 同年8月1日 モンタナ
1867年 ワゴンボックスの戦い 同年8月2日
1868年 ビーチャーズ・アイランドの戦い カンザス。
1868年9月17日〜25日。
1868年 ワシタ川の大虐殺 1868年ー69年の対インディアン戦争の中で最悪の 悲劇。有名なジョージ・カスター中佐指揮の下、騎兵 隊による南シャイアン族のオクラホマのワシタ川の村 を襲い、女性、子供まで手当たり次第に虐殺。
これにより、インディアンからは、「女殺し」と呼ばれる。
1869年 サミットスプリングの戦い コロラド。同年7月11日
1871年 ソルト・クリーク・プレーリーの戦い テキサス。同年5月18日
1872年 マクラレン・クリークの戦い テキサス。同年9月29日
1874年 レッドリバーの戦い テキサス。同年7月20日ウィリアムシャーマン総力戦 を宣言。
カイオワ族ローンウルフがコマンチ族と手を組みパロ・ デュ砦に立て篭もって応戦。
10月24日サタンタ降伏。
1874年 アドービ・ウォールズ(交易所)襲撃 クアナパーカー(コマンチ族)がコマンチ族、カイオワ族南部シャイアン族の連合軍を率いてテキサスにあった 白人猟師の交易所アドービ・ウォールズを襲撃
    1875年6月2日クアナパーカー(コマンチ族)降伏。
1876年 パウダー川の戦い
同年3月17日
クレージー・ホース大暴れ
合衆国軍退却
1876年 ローズバットの戦い 同年6月17日
1876年 リトル・ビッグ・ホーンの戦い モンタナ。
金を求めた白人達がスー族の聖なる山、ブラック・ ヒルズに殺到してきた事から叛乱を起したのが 始まり。
同年6月25日
ジョージ・カスターは、インディアンの集中が予想 出来ないほどの規模に膨れ上がっていた事にも 関わらず攻撃を仕掛けた。
シッティング・ブル率いるスー、シャイアン連合に より、264名全滅。
1876年 ウォーボネット川の戦い ネブラスカ
同年7月17日
1876年 スリム・ビューティズの戦い ダコタ。
同年9月9日
1876年 ダル・ナイフの戦い ワイオミング
同年11月25
1877年 ウルフ・マウンテンの戦い 同年1月8日
1877年   同年5月6日 クレージー・ホース降伏
    1877年の内に多くのスー族が降伏。
シッティング・ブルは、カナダへ逃亡

同年9月7日
クレージー・ホース捕らえられ監禁中に死亡

1878年   同年3月27日
リトル・ウルフ降伏。
1881年   同年7月19日
遂にシッティング・ブルアメリカに戻り降伏

アパッチ族との戦い

1861年から1886年まで続いたインディアンの歴史の中でも最もなかく悲惨な戦いであった。
アパッチは、荒々しく略奪的な部族でメキシコでの急襲をほとんど行なった。
しかし、1861年からアリゾナとニューメキシコを威嚇しはじめた。
攻撃が和らぎ始めた後、アリゾナのグラントキャンプの友好的なインディアンの村に自警団が急襲して、 攻撃が再開された。
やがて政府がアパッチ族を保留地に移住させるまでアメリカ軍は不安定な平和を押し付けた。
インディアンの指導者、ビクトリオは、1880年に殺されたが彼の後継者ジェロニモはいっそう決断心に 富んだ指導者だった。
1860年   ミンブレス山脈で金鉱見つかる。(アリゾナ)
1861年   2月4日(チリカワ)アパッチ族コーチーズ、誘拐で告発される。
混血の少年と家畜を盗んだ疑いだったが、実際は 身に覚えのない事だった。
アメリカ軍とアパッチ族の抗争の火付け的事件
1861年

1862年
  上の事件がきっかけでマンガス・コララドスと コーチーズ率いる連合部族が白人を殺しまくる
1862年 アパッチ峠の戦い 7月15日。アリゾナ・ツーソンの近く。
1863年   1月17日
ミンブレノ・アパッチ族の酋長マンガス・コロラドス (コーチーズの義理の父親)捕まる
1871年   4月29日
アリゾナ・キャンプグラントでインディアン多数虐殺さ れる。
1872年 ソルト川峡谷の戦い 12月26日
1873年 タレット山頂の戦い 3月l27日
1872年

1873年
  アパッチ族多数がクルック将軍の軍門に下る。
1874年 コーチーズ死去  
1879年 ビクトリオの戦い 1879年9月4日〜1880年10月16日 アパッチ族(系統不明)酋長ビクトリオ死亡
1880年 ティナジャデ・ラ・パルマスの戦い テキサス
7月30日
1882年 ジョロニモ捕獲 メキシコl
8月。ジェロニモとその配下の仲間がメキシコへ向けて保留置を脱出。
1882年、9月クルック将軍指揮下の騎兵隊に追撃され 捕われる。
1885年 ジェロニモ逃亡  
1886年 ジェロニモ捕獲

インディアンの白人への抵抗終焉

1885年5月に逃亡したジェロニモ、1886年9月4日、スケルトン峡谷(アリゾナとメキシコの境)でマイルズ将軍に追いつめられ降伏
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