チェロキー族
チェロキー族

〜概説とチェロキーアルファベット〜
イロコイ語族に属する部族の内、最も南に住んでいたのが チェロキー族で、もとはテネシー、ノースカロライナ、サウス カロライナ、ジョージア、アラバマ、さらにバージニアの諾州 に住んでいた。
チェロキー族一チエロキー族白身はAni-Yunwia(真の人間) と呼んでおり、それは、ムスコギー語族(中でもクリーク族) と古くから敵対していたが、イギリス人、続いてアメリカ人達 によって、クリーク族が舐めさせられた以上の苦しみを味あ わされた。
白人がしかけた残酷た皆殺しの戦いは、数えきれないほど あったが、時には、チェロキー族がそれに負けない位に残酷 な報復をすることもあった。

しかし、結局は、遠くはなれた狭い保留地に押し込まれて、 やがて白人の生活様式を、取り入れる様になった。

そして、農耕や商売を始め、表むきだけにしてもクリスチャン になり更には自分達の学校も創って非常に苦労しながらも 白人の生活様式にうまく順応していった。
ショーニー族の酋長ティカムセが白入に対抗するインディアン 同盟を結成しようと持ち掛けた時も、チェロキー族は加わらなかったほどである。
ティカムセを別とすれば、この時期のインディァンの内で 優れた人物はチェロキー族のセコイアである。

チェロキー族のセコイア。
85文字からなるチェロキー語の字音表を考案した。
チェロキー族は、すぐにこのチェロキー文字の読み書きを覚えた.

セコイアは、白人の文字(「話す木の葉」と呼んだ)に感心 して独特のアルファベットを考えだし、文字を使ってチェロキー語のあらゆる発音を書き表わした。
誰もが読み書きを習いたがり、間もなく、チェロキーは、殆どの者が読み書きを覚えた。
1828年2月には、英語と、セコイアのアルファベットで書かれたチェロキー語でのチェロキー・フェニックス第1号がチェ ロキー族の手で発行された。 さらに同じ年に、英語とチェロキー語の両方で書かれた「チェロキー族の掟」も出版された。
この精カ的なセコイアは、インディアン准州へ強制的に移住させられた多数のチェロキー族の、指導的な立場に あった。
ところが、1843年に当時メキシコ領だったテキサスで、チェロキー族の小さ集団の調査中に、行方不明になって しまった。
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