森林地帯のインディアン〜罠師と罠猟師
森林地帯のインディアン
〜セミノール族の歴史と文化〜

1553年4月2日、ポンス・ド・レオンーコロンブスの2度目の 航海の同行者がアメリカの南東海岸に上陸して、美しく 咲き乱れる花にひどく感動し、そこを「フロリダ」と名付けた。
スペイン人や、そのあとからやってきたフランス人達は、 原住民の華やかな儀式やかわった慣習を、多くの絵や 版画に遺している。
同時にまた、インディアンから、トウモロコシ、ジャガイモ、 バイナップル、タバコ、チョコレート、ゴム、キニーネ、コカ イン、アボカド、アーティチョーク、ピーナッツなど、新しい ものを沢山、教わった。
これらは、いまや世界中で食料や、医薬品として使われ ている。
まもなく白人は、おたがい同士、またフロリダ南部の湿地帯 のインディアンと戦いを始めた。
だが、湿地帯にいたのは、インディァンだけではなかった。 この頃には、フロリダヘ逃げてくる黒人奴隷がふえていて、 湿地帯に住んで,いた「迫害された仲間」のインディアンに、 かくまわれていたのである。
このインディアンと黒人との集団が、やがてセミノール族と 呼ぱれるようになった。
セミノールと云う名前は、クリーク語のIsteSeminolee (普通の家の外に住む人びと)から付けられたモノで 「服従しない者」「逃亡者」という意味もあった。
1763年から1783年までの間、フロリダはスペインからイギリス に譲渡されていたが、アメリカの植民地がイギリスから独立 すると、またスペインの領土となった。
1812年、クリーク同盟の一部と白人植民者との問に、バトン ルージュ戦争が始まり、1814年のホースシュー・ベンドの戦い でクリーク族は大敗してジョージア、テネシー両州から追われ 1818年3月に、アンドリュー・ジャクソン将軍(後の大統領)が、 2000人の合衆国陸軍と多数の義勇軍を率いてフロリダに進軍 した。

そして、イギリス人の住民を絞首刑にし、逃亡した奴隷を農園 につれもどした。
さらに400ものセミノール族の集落を破壊して 住民をその場で殺したり、奴隷として連れて帰った。

かろうじてのがれたインディァンは、エバーグレーズ湿地の 奥深くへと逃げ込んだ。 1822年にスペインが、合衆国にフロリダを譲渡すると、白人達 がインディアンの土地へなだれ込んできた。
白人の侵入に対するセミノール族の最後の戦いは、有名な オセオラが率いた激しい抵抗だった。

★クリーク族の指導者オセオラ★

オセオラは1812年にフロリダへ逃げ込んできたクリーク族のひとりで、2人目の妻 チェチョターを奴隷商人に連れ去られた事から白人に対する 憎しみは深く、ひじょうに手ごわいインディアンだった。
1835年以後、オセオラに率いられたインディァンたちは、アメ リカ人の砦を襲撃し始め、騎兵隊を待ちぶせたりして、合衆国陸軍 に大きな損害を与えた。
セミノール族との戦いは、合衆国の歴 吏に残るインディアンとの多くの戦いのなかで最も死者の多い 悲惨なものだった。アメリカ軍は、数百人のインディァンに対し て差し向けた兵士5万人のうち、3000人を失った。
インディアン の追跡にはブラッドハウンド犬を使い、インディアンの頭皮や 首に賞金をつけたりしたが、セミノール族の湿地での巧妙な ゲリラ戦術には歯がたたなかった。1836年にジェサップ将軍は、 たった5人のインディァンを殺すのに、8000人の兵士を動員し 何百人もの兵士を失った。
まともに戦っていたのでは勝ち目がないと考えた将軍は一計を 案じ1837年の9月オセオラに和平会談をもちかけた。
オセオラ は、71人の戦士と16人の女、それに黒人とインディアンとの 混血4人とを従えてやってきた。
しかしこの会談:には、条約どころか計酪が隠されていてオセオ ラは「和平交渉」の最中に捕えられた。

そして、1838年1月30目に、モールトリー砦の独房で死んだ。
つけ加えておくとオセオラの父親はウィリアム・パウェルという イギリス人だった。
次には、ミカノピ酋長が32人の戦士とともに、見せかけの和平 交渉で捕えられた。それからしばらくの問に、950人のセミノール 族が同じ運命をたどった。
そして1837年から!842年の間に、主力を失った1000人以上の インディアンが降服した。
1842年、はじめて裏のない交渉がおこなわれて、残ったセミ ノール族は、そのまま住んでいてもよいことになったが、平和は 長続きせず、1855年にはまた小競り合いがおこった。
残っていた者のうち140人ほどは、かなりの額の金をもらって オクラホマのインディアン准州へ移動したが、こうした諂いを嫌い 留まったインディアンが、今日、合衆国でも指おりの素晴らしい 文化とされているものの基礎をっくった。
現在、セミノール族 は、フロリダ内陸部の正式な所有権をもっていて、あらゆる裁判 でその権利を必死に守っている。自分たちは合衆国に降服しな かったという大きな誇りをもっているのである。

現在では、約400人のクリークーセミノール族とミカスキーセミ ノールがビツグ・サイプレス保留地の湿地帯で、畑をた耕したり 漁をしたり、家畜を飼育したりして、細々と暮している。
ダイナ 保留地にいる約300人のクリーク・セミノール族もほぼ同じ状態 である。
土地改良工事によって、オーキチョビー湖周辺のブライトン保留 地に住むおよそ300人のクリークーセミノール族とミカスキー・ セミノール族のくらしは、いくぶん向上してきた。
ミカスキーセミノール族はエバーグレーズ湿地帯南部の奥地 にも住んでいて、狩猟と漁だけで生活している。
古い女族長制度はなくなりつつあるが、ビッグ・サイプレス保留 地のミカスキーセミノール族には、今でもバンサー、オター、 クラウド、ウインドなど、トーテム信仰の7つの氏族が残っている。
現在もおこなわれているセミノール族の慣習には、ク'リ一ン・ コーン・セレモニー」(緑の穀物儀式)がある。
この祭りは、踊りと儀式で新たな四季の始まりを祝うもので、 この5目間は、伝統的な歌と踊りや、ホッケーに似た球技の騒ぎ で、大変な賑わいとなる。
たくさんのごちそうが用意され、また 多くの結婚式がおこなわれる。
祭司は、「黒い酒」を飲んで嘔吐 で身体をを清めてから、神聖な儀式に臨む。
まじない師とその 魔術的な治療法は、セミノール族の間では今日でも大切にされ ている。
保留地には、近代的な家にまじって、昔ながらのかやぶきの 住居チッキーも見られる。
このチッキーは、高床式で壁が無く4本の柱の上にかやぶきの 屋根がのっているだけの家である。
エバーグレーズ湿地帯で 今も使われているこの開放的な住居は、風通しがよくてハリケ ーンに強いうえ、毒ヘビを防ぐにも効果的である。
セミノール族は、湿地に住んでいるため、木の幹を刳り貫いて 創ったピローグと呼ばれる丸木舟を使っている。
女は大抵 一目でそれとわかるような形に髪を結っていて、10キロもの重さ になるほどたくさんの首飾りをつけている。
着ている服のうち、 長くゆったりしたスカートは、白人が履いていたものを真似した ものである。
年とった男たちは・膝が隠れるほどの長さの、派手な服を纏っ ている。
セミノール族の伝統的な工芸品は数え上げればキリがない。
ビーズ細工、装飾をほどこしたかご・みごとなパッチワークの 衣装、木製の道具類、民族衣装をつけた木の人形などどれを とっても色彩感覚があふれたものばかりである。
こういった工芸品は土産物としてひっぱりだこでセミノール族 の重要な収入源となっている。
この他にワニに催眠術をかけたりワニと格闘したりすることも 観光客への見せものとしてよく知られている。
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