地名データ語源
カリフォルニア州
Califorvia
州都 サクラメントSacrament
成立 1850年(30番目)
標語 Eureka(我、発見せり)
ニックネーム 黄金の州
         Golden State
         黄金郷の州
         Eldorad State
         ユリーカの州
         Eureka State

ニックネームの“黄金の州”、
及び、“黄金郷の州”は、1848年にサクラメント近郊のコロマで金が発見されてゴールド・ラッシュ起きた事に由来している。又、“ユーリカの州”は、州のモットーであるEurekaでありギリシャ語で“我、発見せり”に由来している。

州名は1500年頃にスペインのガルシア・オルドニェスが書いた物語『エスプランディアンの偉業』の中にあるCalifolniaという島の名に因んでいる。
オルドニェスは、その物語の中で「インド諸島の東にこの世の楽園にも似たカリフォルニアと呼ばれる島がある」と述べている。
ただし、この語の語源については、『熱いかまど』とか『独立国』とか様々の解釈が行われていて定説は無いともかくオルドニェスの書いた島はカラフィアという女性が支配する島で美しい女性だけが住み黄金や財宝に溢れた島であった。男たちは訪問する事しか許されな
かった。これによく似た話をたまたま部下の一人がインディアンから聞き、コルテスに伝えた。
コルテスに率いられたスペインの探検家は、その島の発見にのりだし、西方に航海してメキシコ半島(現在のLower California)沖に、夢にまで見たその島を発見したかと思った。しかし、そこには、黄金も財宝も美女もみつける事は、出来なかった。代わりに長いメキシコ
半島の先端を探検した。1542年、スペインの探検家カブリロは、更に北部海岸地域を探検し、現在のカリフォルニア州一帯を上部カリフォルニア(Alta California)と呼んだ。しかし、アメリカ領になってからは、Altaが省かれ、単にカリフォルニアと称される様になった。

カリフォルニアをスペイン人の為に実際に確保したのは、カトリックの宣教師達であった。
1769年、サン・ディエゴに布教地が設立されたのを皮きりに、次々と21の布教地が建てられ、19世紀の半ばには、カリフォルニアは、スペインの支配下にあった。
1846年、アメリカはメキシコ戦争を起こし、1848年、協定により、カリフォルニアをアメリカ領とした。
同年コロマ近くのサッター水車場で金鉱が発見されてゴールド・ラッシュが始まり1850年には、人口が一気に10万人を越えた。同年、自由州として連邦への加入が認められ、第31番目の州となった。
セコイア国立公園カリフォルニア州中部にある国立公園で面積は2千k平方メートル。
1890年イチイモドキの巨木を保護する為に国立公園として指定された。
地名のセコイアは、スギ科セコイア属の巨木に因む。
ただ、この巨木の名前は元来は、チェロキー族のモノで有名な
チェロキーアルファベットの考案者ジョージ・セコイアを記念して1847年、ハンガリーの植物学者ステファン・エンドリッヒャーが命名したものである。
公園区域には、ジャイアント・フォレスト、ミュアー巨木林などセコイアの大群落を広く含み、中でもジェネラル・シャーマン(ウィリアム・シャーマン将軍:南北戦争時の北軍の将軍でアトランタを焼き払った事で有名)と呼ばれる巨木は、高さ83メートル直径11メートル、樹齢3500年もあり世界一の大樹として有名である。
ヨセミテ国立公園カリフォルア州中部のシェラ・ネバダ山脈に位置する国立公園。
ヨセミテ峡谷を中心とする周辺の山地一帯は、1860年に国立公園に指定された。
地名は、この地域に住んでいたインディアン部族名に因み1851年に命名された。
ヨセミテ(Yosemite)とは、インディアン語で“灰色熊”を意味する。
その他の主要都市
アナハイム
オークランド
サン・ディエゴ
サンノゼ
サン・フランシスコ
ハリウッド
フレズノ
ロング・ビーチ
カンザス州
KANSAS
州都 トピーカ
成立 1861年(34番目)
標語 困難を越えて星へ
    Ad astra per aspere
ニックネーム 向日葵の州
        Sunflower State
         小麦の州
        Wheat State
        中央の州
        Central State

ニックネームの“向日葵の州”は州花のヒマワリに由来する。
“小麦の州”は、州の主要生産物に由来し、“中央の州”は、地理上、米国の中心に位置する事から。
州名は、スー(語)族の“kansa”に由来し、『南風の人々』が原義である。1601年からスペイン人は、Escansaqueとして、1673年からは、フランス人にはkansaとして知られる様になった。
kansasは、kansaにフランス語の複数形の“s”がついたモノでありインディアン部族を記念している。
1803年ルイジアナ購入により当地方は、アメリカ領となり1827年には、殖民が始まった。
そそいて部族名は、川の名に転用されてカンザス川となり更に1854年には、準州名、1861年には、州名として発展した。だから、部族名〜川の名前、〜準州名〜州名となった事になる。他の州でも同じ様な例が幾つかみられる。

最初にこの地域を訪れたのは1541年、スペイン人探検家のコロナードで、彼は金鉱を求めてやってきたが成功せずただ通過しただけであった。
だいぶ経って1719年にフランス人探検家が訪れたが、1803年のルイジアナ購入によりアメリカ領となった。
1821年、サンタ・フェ道が西部の重要交通路として開かれてから移住者が増加し、1854年には、準州へと発展した。
1855年ポーニーが州都となった。この“ポーニー”の名は、“Pownee”は、「角」でありインディアン部族名に由来する。
しかし、州昇格に際しては奴隷制度を巡って流血事件が多発し、1854年〜1861年の間には“Bleeding kansas”、『流血のカンザス』と呼ばれていた。
奴隷制度廃止の急先峰であった、ジョン・ブラウンが活躍したのもこの頃であり、1857年捕らわれて反逆罪で処刑さfれている。このジョン・ブラウンは、日本では、童謡として有名な『太郎さんの赤ちゃん』の原曲としても有名である。
結局、反奴隷派が多数を制し1861年自由州として州昇格が認められ“トピーカ”が州都となった。
ウィチタ州南部の工業都市。
人口は、州第一位の304911人。
※1990年頃。
かつては,牛の集散地であったが、1920年代後半から航空機産業が盛んとなり、大手のボーイング社やセスナ社等の工場が有る為“世界の航空機
産業の中心地”Air Capital of the Worldの仇名もある。
地名は、南北戦争前にこの地域に移住していた部族で“Wichita Indian”に因んで命名されたものである。
原義については定説は、無く『人間』、『大きな狩り』等が考えられている。
カンザス・シティ州北東部の工業都市。
カンザス川とミズーリ川の合流点西岸にありミズーリ州のカンザス・シティと対している。
当地は自由黒人の流入によって発展した町で周辺に小麦栽培、牧畜が盛んである。
地名は、カンザス州についての説明と重複するので省略。
しかし、この市の旧名は、ワイヤンドットという。
ワイヤンドットWyandotteとは、『半島に住む人々』、または『島の人々』を意味する。
1841年、オハイオにいたワイアンドット族が土地を買い移住した為、彼等の部族名に因んで命名されたもの。
しかし、1855年に彼等の土地は、連邦政府に売却されたので1857年から白人が多数移住し始め1859年に町が創られその結果、1866年に市制がひかれ、City of Kansasとなり1889年にTown of Kansas、1853年にCity of Kansas、そして1889年からは現在のカンザスシティとなっている。

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