作品番号000003  市民公開シンポジウム 黒柳徹子さんの講演

市民公開シンポジウム 「子どもの幸せ 私達にできること」
                2001年12月16日 inパシフィコ横浜
話し手。黒柳徹子

  7月末、アフガニスタンに国連大使として行きました。アフガニスタンはアジアなのに、しらなさ過ぎるため、前から行きたかったのですが、一千万個地雷が埋まっていたり、交戦中だったため行く事ができなかった。ようやくタリバンが95パーセント支配をして、安定してきたために行く事ができるようになった。アフガニスタンは3年間雨が降らず、干ばつがひどく、しかも21年間内戦をしていたため、政府のお金が武器以外に使う余裕がない。。そんな状態の国でした。1984年にユニセフの親善大使になったのに、今まで何もしてあげられなかったのが、ほんとうに悪いくらい最悪な状態でした。
穀物さえできないのです。国内避難民が100万人いるのです。
国内避難民というのは、自分の住んでいた地域から逃げて行くあてもなく国中を逃げ回っている人たちの事です。
アフガニスタンでも第一商業都市と呼ばれているヘラートに一番始めに行きました。そこは一番大きなキャンプがあり、国内避難民が13万人住んでいました。みなさんはキャンプというと、テントがあってというような楽しそうな光景を思い出すかもしれませんが、難民キャンプというのは、困った人がゲリラに攻められないという唯一の利点があるだけで、後は何も設備がなく、食べるものも無し。土でつくった家に穴をほってビニールのふたをしているような家もありました。
タリバンは基本的に女性に権利を認めていませんでしたが、国内避難民キャンプではボランティアの人たちがキャンプ内で女性にも教育をしているため、私は教育を続けさせられるように、タリバンの人達に頼みにもいきました。
難民キャンプにいる方が教育をうけられる。。。。そういう矛盾に悲しくなりました。難民キャンプにいる子ども達はほとんどの子の親が死んでいます。私が大きくなったら何になりたいの?と聞くと、女の子も「先生になりたい」といいます。先生は難民キャンプでは子供達の憧れなのです。
アフガニスタンの北部では本当に孤児ばかりいます。若い子どもは戦争以外の事を何もしりません。100%近い子どもがトラウマになっています。毎夜悪夢を見るといいます。7月の時点でこれだったのです。
現在はどうなのでしょうか?これ以上ひどくなっている事は必至です。
いろんな意味での多くの支援が必要です。もちろんお金だけではありません。
子どもというものは、どんなにひどくても希望を持っています。私はアフガニスタンで義足をしている男のコに出会いました。義足といってもほとんど鉄で即興に作ったような簡単なものです。それでも男の子は一生懸命練習して歩けるようになりました。彼は、私にまた歩けるようになって、羊と暮らせるようになってうれしいと笑顔でこたえてくれました。
600万人のアフガニスタンの人が現在困っています。7月末、毎日100万円の支援が国連からありましたが、現在は戦争の為に封鎖されています。
アフガニスタンは冬零下25度、、、着の身着のままで逃げてきた人がたくさん難民キャンプにはいます。毛布や手袋などの防寒着を届けるボランティアなどにたくさんの人が協力していますが、まだまだたりない状況です。

私はユニセフの親善大使として、アフガニスタン以外にもいろいろな国へいってきました。
ハイチ(カリブ海)
奴隷としてアメリカに連れてこられた人たちにより、最初に独立した国ですが、政治がなかなかうまくいかず、教育がまったくなっていません。
識字率も15%以下という状況です。発展途上国では、家族の仕事などの労働をするために、学校へ行く子どもというのはホントにごく少数の子どもなのです。大人の80%が失業中で、仕事がないという状況。。。観光地であるジャマイカのすぐ近くなのにです。子どもが6歳になると親は外に子どもを出します。食べていかしていくことができないからです。追い出された子供達はストリートチルドレンとなり、女の子や、男の子も買春をします。客は主にアメリカの男性です。だいたい12歳からストリートチルドレンの子どもは買春という仕事を選びます。彼等はお墓に住み(なぜなら、お墓には電燈があるから)、昼は仕事にいきます。私が彼女らに「AIDSは恐くないのか?」と聞くと、その中の一人が「AIDSになってもしばらく生きられるからいい。1晩42円で家族を養えるから42円で体を売る」といいました。
AIDSの感染率は、ハイチでは72%以上だといわれています。家族を養うためになくなく買春をしている子どもはなんとか救いたいものです。
 
ウガンダ(アフリカ、ルワンダの上)
エイズ孤児が100万人以上いる。そのうえ、国の三分の一の地域にゲリラが出没するといいます。反政府ゲリラは村から13〜17歳の子どもをさらっていき、男のコにはゲリラの兵隊としての教育を、女の子にはレイプをされて子どもを生ませられます。逃げて帰ってきた15歳の女のコに私は会う事ができ、話しを聞きました。
そのコは赤ちゃんを身ごもっていました。相手は60歳くらいのゲリラです。。子どもを腹ごもらされ、逃げてきて、心はずたずたでした。さらわれていった女の子も軍事教育を受けていたそうです。。。赤ちゃんのいる女の子も、、、彼女が見たのは15歳の女の子だったそうですが、子どもを背負って、自分の村にむけて銃で無理矢理うたされていたそうです。。。。。

リベリアの少年兵の話
内戦が7年半続いていたリベリアがやっと内戦が終わった3年後に私は行きました。リベリアの少年兵は10歳くらいから銃をもって、人を殺し続けてきました。戦争が終わって3年たっているのにも関わらず、少年兵の顔を覚えている村びとがたくさんいて、「人殺し」と呼ばれるために、村には住む事ができずに、山で隠れて生きています。
「人を撃った時、どんな気持ちだったの?」と私が聞くと、「血がだらだらでて、やったぁ!!とおもった」「でも、あのときは大人はあんなに誉めてくれたのに、今はむちゃくちゃに責められる、、、なんでだろう?」と男の子は悩んでいた。全員家が壊されて、家族が殺されて、さらわれてきて、そのコのせいではないのに、こんな風になっている。こんな状況にリベリアでは多くの青年、子どもが落ち入っている。

アンゴラやモザンビークでは毎日のように現在もゲリラがきて、家族を殺されている。生きながらえている子ども(両腕を見せしめのためにゲリラにもぎ取られている)がたくさんいます。どんな状況にあっても子どもは前向きな事を考えてひたすら生きようと思っている。アフガニスタンにもう一度いって、子ども達はどうしているのかを見てきたい。自分達のせいではないのに、毎日を心配しながら生きている国は世界の87%もあるといわれています。その反対の13%の先進国に含まれている日本では未来への希望を持てずに自殺を選ぶ子どもがたくさんいます。。難民キャンプで自殺をした子どもというのは今までに一人もいないそうです。
自分の小さいときをみてもそうだが、子どもたちがしたい夢を叶えることができればどんなにいいことだろうか?子どもは教育されていないので、地雷というものの存在をしらない。。。それを利用して、ぬいぐるみ型地雷というものもつくられている。対子ども用地雷だ。。非戦闘員である子どもも現在では戦争の犠牲者にされているのです。。。

大切なのはこういうことが地球上であるということに感心をもつこと_です。
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