シリア・ヨルダンの遺蹟の旅 1999.10.6〜10.21

 

 シリア

 シリアは四方をイラク、トルコ、ヨルダン、レバノンに囲まれ、地中海にも面している。

 世界四大文明の一つ、チグリス・ユーフラテス河沿いに発展したメソポタミア文明。5000年に及ぶ歴史がある。

☆1日目

 KLM航空でアムステルダム経由、シリアの首都ダマスカスへ。

☆2日目

 昨夜は遅くにダマスカスに着いたので、今日は11時30分から観光が始まる。

ウマイヤドモスク入口で

  ウマイヤド・モスクは女性はイスラム式の服装をしないと中には入れない。

 ウマイヤド朝時代、715年に10年の歳月を掛けて建てられた世界最古のモスク。

ハタドの神殿をモスクにしたため、ヨハネの時代にはキリスト教徒とイスラム教徒が同じ場所で祈りをささげた時代もある。

 

 

 

 

(このスタイルでないとモスクに入れない)

 アゼム宮殿はオスマントルコ時代、ダマスカスの統治者アッサード・バジャ・アルアゼムによって建てられた邸宅で、今は民族博物館になっている。

当時の部屋が展示室になり、そこには姑の部屋、王様の部屋などがある。

姑の部屋は、刺繍をしたり、ゲームをしたり、子守りをしたりする人形が当時を再現している。

一番広い部屋は謁見の間で、常に噴水から水が流れ、話し声が外に漏れない工夫がしてある。

 ストレートどおりは、正にストレートな道でキリスト教地区。ギリシャ正教、アルメニア正教などが並んでいる。

 聖アナニア教会は元々はパウロ自身がキリスト教徒を迫害していたが、キリストの奇跡で改心した場所。階段を下りると小さな礼拝堂がある。パウロが改心する過程を絵にして展示されている。

 今日の最後は歴史上で初めて殺人がおきたカシオン山。標高は1160m、髪の怒りに触れ草木1本生えないはげ山。現在は高級住宅街として、軍事基地、大統領官邸が建っている。ここからは近代的なダマスカスにの街が一望できる。黄砂現象と同じで、砂漠の砂で街はもやがかかったように見える。

 

☆3日目 レバノン

 今日は国境を越えレバノンに帰り観光。

 ダマスカスから90km、アンチレバノン山脈とベッカー高原の中心にある。

 レバノンはキリスト教徒とイスラム教徒が半々の国。中東諸国で唯一砂漠の無い国。

 バールベッく神殿を見る前に博物館を見たのだが、遺跡をうまく利用しており、古い建造物が効果的。床は白大理石を敷き詰め、復元図と天事物をうまく配置してある。

バッカス神殿の背面と側面

バッカス神殿のライオンの雨樋

パールバック神殿は巨大な石の神殿である。柱は2mをの太さ、柱を支える基礎も柱の長さも驚くばかりに大きい。柱は3分割で銅の楔で繋ぎ合わせてある。柱の1本1本にアーカンソスの刃の模様が彫られている。

6本の柱を持つバッカス神殿にはライオンの雨樋がつけられていたが、今は下に落ちているものもある。

 

ジュピター、バッカス、ビーナスの神殿から成り立っている。

 再び国境を越え、シリアに戻る。シリア、レバノンの中立地帯にベドウィンが遊牧をしながらすんでいる。彼らには国境が無く自由に行き来している。

 

☆4日目

 ダマスカス国立博物館は入口の門はパルミラの西の宮殿から持ってきたもの。

 世界最古のアルファベットが彫られた粘土板、ユーフラテス河沿岸のリマ遺跡から出土品、デュラ・ヨーロポスのシナゴーグの壁画、火災で粘土板が陶器化した物が展示されている。

 テキーヤ・スレイマニーエ・モスクの敷地にクラフトセンターがある。何か良い物があるか見たが何も無い。

 昼食後フリータイムにスーク(市場)へ行く。オリーブ石鹸が売られている。

 

☆5日目

 国道1号線がアレッポ街道。

 マルーラ村にある聖サルキオス教会、聖タクラ教会を見る。

この村はキリストが話したと言われる古語ノアラム語絵お守り、話す。

 聖サルキオス教会はギリシャ正教で、偶像崇拝が禁止されていたためたくさんのイコン画が残っている。

 聖タクラ教会は洞窟をくり抜いた教会。当時の洞窟の感じが良く残っている。この二つの教会はアンチレバノン山脈の荒涼とした岩山にある。岩山はたくさんの洞窟があり、ひっそりと信仰に生きた村だったが、教会のお陰で観光の町となり、新興住宅ラッシュ。

 草木一本生えない平原を真っ直ぐに走るとホムズの町。

クラック・デ・シュバリエ城

十字軍の城クラック・デ・シュバリエ。騎士の城という意味。外観はヨーロッパの古城と変わらない。中に入るとだまし扉や、攻め込まれた時は敵に上から煮えたぎった豆や油を流して対抗した。

4000人が1年間篭城できるように、穀物倉庫、ワインを入れる壷、小さいながら水道橋も作られ川の水を堀に引いていた。

このあたりは地中海に近いため、雨も多く畑作に適しシリアの穀倉地帯。

 ハマの水車を見に行く。ローマ時代から今日まで水車を利用している。今は主に観光用になっているが、オロンテス川から水道橋と水車で農業の灌漑用として使われていた。大小四つの水車があり、大きいものは直径20mもある。見た目にはそんなに大きくは見えない。

 

 

 

ハマの水車

  エブラではすっかり日も暮れ、バスの中から沈む夕日を見た。

 薄暮の中、エブラ遺跡を見る。日干し煉瓦が風化で崩れるのを防ぐため、石膏で固めてある。

 色んな民族闘争と支配が繰り返され、粘土板に掘り込まれたエブラ書物が火災で陶器化し今日に残っている。『ソドムとゴモラ』の謎も解けた貴重な文書である。

 村の入口にビーファイブという建物が少し残っているが、時代の流れと共に無くなりつつある。薄暮の中の見学は秋の夕暮れの寂しさと風の強さで余計侘しく感じた。すっかり日が暮れた中を、アレッポ目指してひたすら走る。

 

☆6日目

 楽しみにしていたアレッポ。でも体調が悪く、バスで30分の所にある聖シメオン教会まで行くが、入口で皆が観光している間休んでいた。

バスが街中に戻るので、ホテルで降ろしてもらい、橋は観光をパスする。アレッポ城、モスクを見るために来たのに非常に残念である。

又シリア名物のオリーブ石鹸も買えない。これは頼んで買ってきてもらったが。

 

☆7日目

 アレッポから東に350kmの移動。

 トルコに源を発し、シリア北西部を流れ、イラクからペルシャ湾に注ぐユーフラテス河。河沿いの砂漠地帯を走り、リサファのセルジオポリス、ハラビエ遺跡を見てデリゾールへ。

 リサファの途中にユーフラテス河をせき止めて造った人口湖サダト湖がある。電力、灌漑用に使われ、小麦、米、綿、果物、野菜などを作っている。 

リサファの遺跡

 リサファはヘレニズム時代の隊商都市遺跡の大聖堂を見る。全く茶色の景色。アラバスタで造られた教会には主祭壇のドームが残っている。

キャラバンサライの跡と貯水池があり、これ一つで1500トンの水が蓄えられ隊商を支えた。

 遺跡のアーチもアラブの時代に2つに補強され、又そのアーチをすっかり埋め込み壁となっているものもある。

 ユーフラテス河を渡るとラッカの町である。アレキサンダーが東方攻撃の拠点として造った街。

 ユーフラテス河は悠々と流れ、青く澄んだ美しい流れである。

 

 ユーフラテス河沿いのハラ・ビエ遺跡。ローマ帝国からビザンチン時代に築かれた城壁の跡。それらの城壁は幾多の戦いで壊され、風化し、ただの石積みだけが残っている。何千年も変わらないのはユーフラテスの河の流れだけ。ここでも一抹の侘しさだけが残った。

 

☆8日目

 今日もしばらくはユーフラテス河沿いに沿って走る。

 シリア地方、侵略と征服と繁栄を繰り返し、シルクロードの交差点としてイラクのバグダッド、イラン、トルコと交差。キャラバン隊によって交易路としても栄えた。色々の文化、文明がここに根付いた。アレッポ街道の1号線、2号線も共にシルクロードである。

 ディレゾールから南下して石の砂漠を2時間ほど走ると、イラクの国境近くにマリ遺跡がある。風が非常に強く、覆面をして見学。シリア、フランス隊が当時と同じ日干し煉瓦で発掘、調査、修復をしている。

 マリ遺跡はシュメール人の時代のもので、地中海に近く貿易基地として栄えた古代都市国家。又この遺跡の中には、ノアの箱舟の元になった大洪水の跡が残っている。紀元前3000年頃のヘレニズム時代の遺跡、パルミラへ通じろパルミラ門、ギリシャ時代の要塞と階段などが残っている。

 パルミラに向かってデザートハイウエイをひたすら走る。

 

☆9日目

パルミラの夜明け

 今日はシリア観光のハイライト、パルミラである。

 パルミラの日の出を見るため、早起きをして見に行く。

 4000年前からのエフカの泉が突然2年前に枯れたとか。

ここにオアシスがあったので、ナバティア人がパルミラに都を築いた。

パルミラはオアシス都市として、隊商貿易の中心として栄え、ゼノビア女王によって治められ、ローマ軍に敗れ滅んだ国。

 パルミラの主神ベール大神殿と、列柱通り。5世紀からローマ時代までのイオニア方式の列柱。神殿の中には6大神が祭られていた。

ローマ様式の建造物で、円形劇場もよく残っていた。

列柱通りは人間は舗装道路でラクダは土の道と使い分けされていた。

パルミラのベール神殿の記念門

考古学博物館入口で民族楽器を弾く人

アラブ城で絵葉書売りの子供

アラブ城の丘より見る夕日に映えるパルミラの全景

 夕方パル村の夕日を見るため、アラブ城へ行く。

ここから見るとパルミラ遺跡の規模の大きさが改めて分かる。

 ナバタイ王国として古くから栄えたパルミラもゼノビア女王の時代に、ローマに反旗を翻し、ローマ軍に敗れた。その時ローマまで金の鎖につながれて行ったという。

その後弓の名手のパルミラの兵隊は、ローマ軍に仕えた。

☆10日目

 一旦ダマスカスに戻り、そこからボスらに向かう。

 途中ベドウィンのテントを見せてもらう。中は綺麗に整頓されているが、子供達は皆裸足、それにいつお風呂に入ったかというほど砂埃にまみれていた。

平均寿命は男52歳、女56歳という。このように水も無いかこくな所での生活。

ベドウィンとは「空が一望に見える所に住む人」という意味。 

ボスラの円形劇場

 ボスラはヨルダンとの国境近くの街で、ナバティア人が造った街。 

ボスラの入口にあるのがナバティア人が造った「風の門」。シリア内ではナバティア人が造ったただ一つのもの。

円形劇場はローマ時代のもので、今も使われている現役の劇場。

 

 「風の門」から「ナバティア門」まで約2キロの遺跡。この遺跡の中に家を建てて住んでいるが、政府が立ち退かせ遺跡を発掘するという。シリアは何処を掘っても遺跡が出るという。

 明日は国境越えてヨルダンへ。

 
ヨルダン

☆ 1日目

 ヨルダンはシリア、イスラエル、イラク、サウジアラビアと隣接する小さな国である。紀元前4世紀にナバティア人が都をペトラに定め、後にアレキサンダー大王がこの地を支配した。2世紀にはローマ軍に滅ぼされ、ローマ帝国によって大いに繁栄した。その後ビザンチンとなり300年の繁栄の後、ペルシャ、イスラムに征服された。

 最初に見たのがギリシャ・ローマ時代の都市遺跡ジェラシ。紀元前6世紀の旧石器時代からローマ時代まで隊商都市として栄えた。ハドリアヌス皇帝の記念門、その横がヒドローム。ここは戦闘用馬車の競技が行われたところ。

4世紀にキリスト教になり、セント・ポスマス教会のモザイクが残っている。

 アルテミス神殿の階段は7段毎、7がラッキーナンバー。ここでも列柱通りがある。

 ジェラシから約1時間で首都アンマンに。

アンマンのミタデムという城壁のある丘に上がると、アンマン市内が一望できる。アンマンは標高800mの都会。この丘も現在日本の考古学隊も入って発掘中。考古学博物館には「四海の銅版」が展示、この銅版きりストかその弟子が持っていたという貴重なもの。

 オデオン小劇場を見た後、ひたすらペトラに向かってデザートハイウェイを走る。両側の灌漑された所は緑の大地に、それ以外は不毛の石の砂漠。

シリアに比べると家々の明かりも多く、国の体制の違いが分かる。

 

☆2日目

 ペトラである。インディ・ジョーンズの映画の舞台になった所が、ファラオの宝物殿。

シクの裂け目

ファラオの宝物殿

 馬ステーションから馬に乗りシクの裂け目まで行く。この岩山は地殻変動で海から隆起したもの。747年の地震で今のように2つに裂けた。岩山は圧倒的な高さ、空が隠れるほどだ。この裂け目を出るとパァーと視界が広がりピンク色のファラオの宝物殿が見える。感動!ナバティア人の造った街。ペトラとはギリシャ語で「岩」という意味。全くその通り、岩をくり抜き神殿を造り、岩窟住居を作り、墓、劇場を造った。岩を削って水路を作り貯水槽を造った。死後も劇が見れるようにと、劇場の上に墓地を作った。後にローマ人が修復してローマ劇場となった。岩は砂岩で柔らかく、色も美しい。この岩を削って粉にしてビンの中に砂絵を書いている。

 ナバティア人の後に入ったローマ人がシクの裂け目に舗装道路を造り、その上を馬車が走った轍の跡が残っている。ローマ人がこの都にローマ様式の建物を造り、それが列柱通り、神殿跡となって残っている。

 800段の階段を登ってエルディール修道院を見るべく挑戦したが後一歩のところでリタイア。道は細く険しい。

 先人の偉大さ、根気強さを感じた1日だった。

 

☆3日目

 今日は「アラビアのロレンス」の日。

 ワディ・ラムを1時間コースで軽トラックのオープンカーに乗り体験。赤い砂漠である。自然の風化で岩山になった山の高さはヨルダン最高峰、1700mあるそうだ。ナバティア人の住居跡などを見、壁画が残っている、今はベドウィンが住民。 ロレンスはラクダげ目指したアカバを私達はバスで目指す。アカバはアンマンから南に380キロ、ヨルダン唯一の港町。ここで陸揚げされた荷物はアンマン、シリアのダマスカスへと運ばれて行く。

 アカバ湾を遊覧船(グラスボート)に乗って遊覧。海底に戦車が1台沈んでいた。この海は水の綺麗な紅海である。

 帰り道モーゼの泉を見るが、もっと自然な所にあるものと思っていたら大違い。建物の外に水が勢いよく流れていると思っていたらその建物の中。奇跡を起こした石も隅っこにある。今なを何故このように水が出るのか分からないとか。

☆4日目

 シリアからヨルダンと周ってきたが今日が最後の観光。

 マタバで聖ジョージア教会、4世紀のモザイクの地図が残っている聖ギレオギレス教会を見、標高838mのネボ山に登る。とうくにかすんで見えるのがイスラエルのカナンの地。モーゼが不毛の土地を水の奇跡で緑の大地にし、蜜と乳のカナンにした。

 一気に1200mを下りるとそこは死海。浮遊体験ができるのだが、紫外線アレルギーがひどく諦める。湿度も高く、遠雷も聞こえている。

 アンマンの空港は全国王陛下の妃殿下の名前の空港、クイーン・アリア国際空港。

 

 終ってみればあっという間の観光だった。

今回は遺跡ツアーで規模の大きさ、古さに圧倒されタイムスリップして楽しい旅だった。シリアは土の砂漠、ヨルダンは石の砂漠。茶色の風景を見、風に吹かれ、美しい夕日を見た。日本の縄文、弥生よりも前にここに文明を築かれていたのだ。

 シリアにはテルという遺跡が埋まっている丘が1万もあり、発掘中も入れ100位しか進んでいないそうだ。

この3カ国国中が遺跡といっても過言ではない。

 

 

 

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