コロンス島と厦門

2007.11.20.〜11.23.

 

 厦門のパンフを見て3泊4日というのもいいし、気分転換に中国の租界を見るのもいいか、と思い行くことにした。タイトルは「異国情緒あふれるピアノの島コロンス島と厦門の旅3泊4日」、と長い。

11月20日出発で23日には帰国という国内旅行並みの日程である。

 厦門は台湾の向かいにあり、暖かくて過ごしよいだろう。コロンス島もピアノの島といわれどれくらい昔の租界が残っているか楽しみである。

 

 

1日目11月20日(火) 晴

 

 関空に集合が午前8時45分、それにあわせて西宮北口を7時に乗るように北口へ行くとダイヤが変更になっている。6時50分発が増発されているようで、それに乗り関空へ。少し早く着いたが添乗員からチケットなどをもらい、受付が始まると個人チェックインで搭乗の手続きを済ませ待合カウンターへ行く。

なんとなくこの人たちが今回のツァーメンバーかと思いながら本を取り出して読み始める。

 10時25分発全日空957便は関空、厦門間を4時間で結ぶ直行便、3席、3席という小型機である。搭乗が始まり機内に落ち着くと幸いなことに三席一人で使えそうである。

 11時頃に早くも機内食である。キノコハンバーグにパンプキン・サラダ、就航記念ケーキといメニュー。

 離陸して2時間あまりすると気流の不安定なところに差し掛かり機体が揺れる。

柳田邦夫の「石に言葉を教える」を読み終わり、上空からの景色を見る。大河が見えているのだが、なんとなく紗がかかったようで空気が悪そうである。開発が進んでいるのだが環境対策が遅れているのであろう。海もかなり埋め立てられているように見える。

 機内のモニターに映し出される地図を見ると、石垣島、台湾、厦門と繋がっている。時計を1時間遅らせ、現地時間1時半頃に厦門国際空港に到着。

 

 通関を済ませて出たところで今回の現地ガイドの張さんと合流してコロンス島へのフェリー乗り場までバスで向かう。

 フェリーで約8分、コロンス島に着く。

ピアノをデザインしたもの。

 コロンス島の中国表記は鼓浪嶼

(GU LANG YU )、厦門の対岸である。嶼は島という意味。

砦に当たる波の音が鼓の音に聞こえたのが島の名前の由来。

 コロンス島は1091平方キロメートル、人口150万人という小さな島である。

イギリス領事館が建ち、アメリカ、スペイン、オランダ、フランス、日本

にドイツ、ポルトガルの領事館が建つと個人の邸宅、別荘が建ち並び、そこにピアノが持ち込まれた。それらの建物は文化財として保存されている。また350年前は漁村だった島。

 龍山洞という防空壕が見えてくる。元々は飛行機の爆撃を避けるために出来た防空壕。それにすると壕という字が違う。壕は低いところを、洞は高いところをさすのだそうだ。

龍山洞

コロンス島の漁船と厦門の街

 

 

 

 

 

コロンス島から厦門を見て

オルガン博物館入口

 坂道を上がると柱などがホワイト・ハウスに似た建物が見えてくる。オルガン博物館である。1907年から30年掛けて建てられた。

屋根は中国式になっている。列強国に対して中国がその上に立つ、という一種の抵抗の表れ、だそうだ。

林さんという華僑の人のもの。林氏は父と一緒に台湾に渡ったが後に厦門の戻り、別荘としてこの建物を建てた。

 中国一大きなイギリス製のオルガンが展示されている。高さ6メートル、1350本のパイプがある。なるほど裏に回ると納得する。

中国一大きなオルガンとパイプ

学芸員が弾いてくれた

 コロンス島は魚介類が豊富で町中では干し鮑などを売る店が並んでいる。

 別荘の数は560件もあったが、別荘の90パーセントは毛沢東の時代に没収され、その住居には多いところで10世帯くらいの人が入居し昔の面影はない。

 コロンス島の「島の木」は合歓の木で大きな豆がぶら下がっている。またガジュマロの木も多く見られる。

夕方涼しくなると老人達が辻の木陰に集まってくる。

 

 何処の家からもピアノの音が聞こえるくらいピアノが多い、と聞いていたが民家からは一度もピアノの音は聞いたことが無い。道に置かれているセンサーが働いて人が通ると金属的な合成されたピアノの曲が流れる。

何処の家からもピアノの音がした、というのも文革前の租界時代かもわからない。

洋館に多数の家族が住まうようになっておればピアノを弾くのも難しかろう、それにやはり昼間は老人が多い島でもある。

ホテル

 

 

2日目 11月21日(水) 晴

 

 中国人観光客の多いコロンス島だが朝が早いと中国人が少ないので7時にホテルを出て坂を上がり日光岩から昇岩路を歩く。少しいくと人民小学校の前に出た。校門のところには成績の良い生徒が立ち、校門を入ってくる生徒を迎えている。

 三一堂というキリスト教会の礼拝堂の前を通り番婆楼へ。

番婆楼は1920年に建てられた建物で、外国人のお婆さんが経営したレストランと喫茶店でこの名前が付いた。今も一部が喫茶店として使われている。

これで朝の散策は終わり、8時にホテルに戻り朝食を摂る。

↓福音堂、租界の建物、通りのプレートと島の木の合歓の木

小学校前

三一堂

菽荘花園入口

再び島の散策が始まり、海側に下りていくと林さんの従兄の別荘菽荘花園に着く。林さん44歳のときに造り、44の橋が架かる池は湧き水である。

園内にあるピアノ博物館へ入る。

ピアノは胡氏の収拾した物で2008年のオリンピックが済むと全てをオーストラリアに持ち帰るそうだ。

ピアノ博物館のその後は未定、とのこと。

 ドイツ製ピアノの部屋では部屋のコーナーに弾くことのできないピアノが展示されている。この写真があればと思うのだが部屋は撮影禁止、絵葉書もコロンス島にはないので紹介できない。

菽荘花園とピアノ博物館

厦門音楽学校校門

 厦門音楽学校は400人の生徒に対し140人の教師が教え、小学校から中学まで。卒業後はアメリカ、日本などで演奏活動をしているのだそうだ。

学校の前からは音楽の音色は聞こえてこない。午前は学業で午後から実技なのだそうだ。

海天同構

人形劇の部屋の展示物

ピアノのミニコンサートが楽しめる海天同構でティタイム。緑茶を頼んだのだが美味しいお茶だった。

ミニコンサートというが数曲を学芸員が弾くだけ。

  海天同構は黄氏の別荘だったところで5棟の建物のうち3棟が公開されている。その一つがお茶をしたコーヒーショップ。後は人形劇の部屋、写真展示の部屋。中庭も広くきれいな建物である。

日本領事館跡の建物

 1897年に建設されたレンガ造りの日本領事館跡は今も健在。丈夫な建物である。近くには1928年に建設された牢獄も残っている。この建物(中国人技術者が建てた)の方が後で建設されているが痛みがある。シンガポール華僑の建物も100年なるが構造体がしっかりしている。

このあたり海に近いので領事館が集中していた。        ↓シンガポール華僑の建物

 旧日本博愛医院跡がレストランになり、名物の牡蠣オムレツが出る。見た目は悪くおいしそうに見えない。レストラン入口には多くの魚がプラスティックの入れ物の中で泳いでいる。その中には牡蠣がない。ツァーメンバーの一人が「あれは牡蠣と違いまっせ、タニシですやん。」、と何回もいうので少し食べた私は気分が悪くなった。

またこのレストランの前に建っているのがコロンス島に数ある公衆トイレ。現地ガイド曰く「ここでトイレを済ませてください、レストランのトイレは汚いですから。」

皆「???」状態。 

中もゴマゴマ団子

昼食後船からコロンス島を一周する。コロンス島からは日光岩などが、厦門には高層ビル群が見える。

 船を降りホテルに戻るのだが、途中でゴマ団子を売っている店で試食をする。

外は黒ゴマ、中は白ゴマの団子で1元。安くて美味しいのだがこれは持ち帰るわけにもいかず試食だけさせてもらった。

 「330段ほどある階段だがいつの間にか上がれる階段」、というので日光岩へ行くことにした。ところが、ところがである、急な狭い階段に中国人観光客が一杯。何とか登りきると狭い展望台になっており、そこからは360度パノラマの景色が見える。コロンス島独特の西洋建築が見え、厦門の高層ビル群が見える。

日中のコロンス島は5〜6万人の観光客が押し寄せてくる。中国人にとっても異文化の世界として人気の観光地だそうである。 

コロンス島には車は電気カートのみ、その電気カートに乗ってフェリー乗り場へ。

 厦門は経済特区として発展中、車も多く地下道を通ってレストランのある通りへ行く。今回のツァーの売り物のフルーツ会席の夕飯である。

 フルーツ会席とは、先ず最初に出てきたのがフルーツティ。まるでジュースを温めたような飲み物、これでは口直しに青島(チンタオ)ビールで口直しが必要。次々に出される料理はみな甘い。以下フルーツ会席の色々。

フルーツティ

マンゴーと蝦の料理

パイナップルと鱈の料理

リンゴロール

トマトとフカヒレのスープ

鶏肉のレモン果汁かけ

スイカと貝柱の料理

フルーツ入り五目御飯

カリンと白キクラゲの料理

デザート

 

 

 

南普陀寺山門

3日目11月22日(木) 晴

 

 朝の散歩は昨日歩き疲れたのでパスした。

 今日は厦門へ戻り、南普陀寺、胡里山砲台、中山路を見て厦門で1泊する。

 ホテルの前から電気カートに乗りフェリー乗り場へ。フェリーからコロンス島を見ながら約8分で厦門へ到着。

 南普陀寺は観音菩薩を祀り、1200年の歴史がある。唐時代の建物で唐時代には普照寺(ふしょうじ)といわれていた。

 山門をくぐると放生池(ほうしょういけ)がある。

正面の仏像は布袋様、その裏には韋駄天が祀られている。多くの老若男女が赤い長い線香を手に熱心に祈っている。ガイドの張さんが我々にも線香を買

南普陀寺境内で

ってくれ、火をつけて参拝した。しかし手が赤く染まり少々拭いても赤い色が取れない。

奥へ進むと大悲殿が見えてくる。苦界から人間を救うという観音菩薩が祀られている。

さらに進んでいくと世界一大きいという「仏」という字が見える。本当に大きい字だ!!!

 胡里山砲台は1891年に建設された要塞跡。厦門大学の庭にあったものだが今は観光施設になっている。車1台がやっと通れる狭い道を抜けると乗用車、観光バスが多数駐車している。

一度も発車されたことのない砲台は長さ14メートル、重さ6トンのドイツ製の世界最大の砲台である。

今は固定されているが360度回転し、射程距離360キロメートルもあった。

厦門の海岸線を通るイギリス、フランス、アメリカ軍に備えたもの。

参加者皆興味無さげにガイドの話を聞いたのである。

 飲茶の昼食後厦門一の繁華街という中山路で自由時間になったがたいしたことが無い。一通り歩くと時間を持て余した。

 

 ホテルから海鮮レストランに向かうのだが、厦門のラッシュアワーで渋滞がひどい。駐車マナー、運転マナーの悪さが渋滞に拍車をかけている。ドライバーに譲るという気持ちが無く、無理な割り込みも平気である。

 レストランの近くは高層マンションが建ち並び、その周りも駐車している車がすごい。

メンバーとも慣れてきたので和やかな夕食を済ませ、きれいな夜景を見ながら2005年開店の新しいホテルへ戻る。

近代的設備の整ったホテルということだが、部屋は鏡を多く使い私には少々落ち着かない。

ロビーにはきれいな花が飾られている。

 

 

4日目11月23日(金) 晴

 

 厦門園林植物園が最後の観光。広大な敷地にあるののだが花の時期が過ぎているのでほとんど花は無い。羊蹄木がピンクの花をつけているのと黄色い花が咲いている程度。

3500万平方キロメートルに5300種の植物が植えられ、全部見るには3日かかるそうである。

万石池は昔厦門の給水ダムだった。この植物園は昨日見た南普陀寺の裏に位置している。

黄色い花がアッしア・アラタ、日本では大阪市大植物園で咲いたそうである。

ピンクは調べたのだがわからない。

木の実は番果、これはグレープフルーツくらいの大きさだが食することは出来ない。

 空港に向かい、空港で夫々が食事を頼み、私は水餃子を頼んだのだがこれは日本の方が美味しい。東京ラーメンというのもあった。

 搭乗手続きを済ませ14時20分発の全日空で帰国の途へ。幸いなことの帰りも3席一人で使えたのと予定時間より1時間ほど早く着いたので楽だった。

 

 租界を見たい、という思う出申し込んだ今回の旅、済んでしまえばまあこんなものでしょう、という感であった。

 

 

トップに戻る 自己紹介
花物語 旅物語