中東の3P

 

中東の3Pはシリアのパルミラ、ヨルダンのペトラ、イランのペルセポリスを指します。

シリア、ヨルダンには1999.10.6.から10.21.迄、イランは2001.4.5.4.16.迄の旅でした。いずれの国もイスラム圏で、何かと火種の多い所ですが、観光には差し支えありません 


 

シリア

 

 シリアは四方をイラク、トルコ、ヨルダン、レバノンに囲まれた国です。

地中海にも面しています。

 シリアの首都、ダマスカスは大都会です。世界4大文明の一つチグリス・ユーフラテス川沿いに発展したメソポタミア文明で、5000年に及ぶ歴史があります。

沢山の遺跡が残っていますが、最大の遺跡はなんと言ってもパルミラでしょう。  

パルミラの遺跡の中にホテルがあり、夜明けの写真をとりました。又パルミラノ遺跡を詳しく見るには時間がかかります。10月といっても日差しがきつく、歩くしかないので足にこたえました。

 オアシス都市で、ナバティア人の築いた都です。隊商交易の中心として栄え、ゼノビア女王によって治められ、ローマ人によって滅ぼされた都市です。

 パルミラの主神ベール大神殿と列柱通、5世紀からローマ時代までのイオニア方式の列柱。いやはやなんとも気の遠くなるような規模の大きさです。

 シリアは何処を掘っても遺跡が出ると言われています。他にも発掘中のマリ遺跡(フランス隊が入って発掘中)、イスラム寺院の素晴らしいアレッポなど見所一杯の国です。トルコ、イラク、遠くは中国に至るシルクロードの一つです。そのシルクロードの上を移動していくのです。

ユーフラテス川沿いにあるのがリサファの遺跡です。全く茶色の景色、レンガを積み上げアーチを造り、それを補強するためアーチの中にもレンガを入れたものもあります。ヘレニズム時代の隊商都市遺跡の跡です。

ボスラという町はローマ時代に造られた円形劇場がよく残っています。今も現役の劇場で、1500人収容できます。

ボスラの入り口にあるのが『風の門』、シリアではナバティア人が造った門で、『ナバティア門』まで2キロ遺跡の中を歩きます。その遺跡の中に多くの人々が暮らしているのです。政府も立ち退きをさせていますが。

砂漠といっても、モロッコのサハラ砂漠のように、砂でなく、石漠、土漠で茶色の世界に魅せられました。又砂漠にはベドウィンのテントがあり、一つ見せてもらいましたが、中は綺麗に整頓され、水も無いのに、鍋などピカピカに磨きこまれています。

平均年齢50歳といいますから、凄くお婆さんに見えている人も私より若いのかも分かりません。

ひし形の小さな刺青を顔にしていてしわだらけ、子供は髪の毛も何時洗って櫛を入れたかというような状態です。

やはり10月ですから日没も早く、日没の時間になると西の空にポッカと太陽が浮かんだようになり、なんとも綺麗でした。

 

ヨルダン

 映画「インディ・ジョンズ」の舞台になった所です。

シクの裂け目という、昔海だった所が地殻変動で隆起した凄い高さの岩山で、ちょうど馬車が通れるほどの幅の道があり、ローマ時代の馬車の轍の跡が残っています。ローマ人の知恵で上下水道の跡も残っているのです。岩山は空が見えないくらいの高さがあり、海の生き物の化石も残っています。それも高い所に。  

そのシクの裂け目から出ると、一度に視界が広がり、ファラオの宝物殿が目に飛び込んできます。圧巻です。ここがペトラです。ペトラもナバティア人の都の跡です。ペトラとはギリシャ語の岩という意味です。砂岩ですので掘りやすいのですが、機械の無い時代によくこれだけのものが出来たと感心するばかりです。宝物殿の横には梯子の代わりをしたのではないかと思われる手や、足が入る大きさの穴が縦に並んでいます。

この遺跡の墓の中で生活している人々が居るのです。夜は真っ暗です。電気が通っていないのですから。子供といえども、驢馬で客の取り合いをして、逞しいです。学校にも行かず働き、それでも少しぐらいの英語は話すのです。

 シリア、ヨルダン、トルコ北アフリカ諸国いずれもローマ遺跡が残り、「全ての道はローマに通ず」が実感されます。イタリア国内は勿論のことですが、ローマ人は征服するのに先ず道から始めたと言うのがよく分かります。

 

イラン

 イランにあるのがペルセポリスです。この3つの頭文字をとって中東の3Pと言うのですが、パルミラ、ペトラと比べると規模は小さいですね。歴史的には一番古いのですが。

ここも石の列柱がたくさん残っています。しかし、ここの遺跡の素晴らしいのは、レリーフが立体的で、躍動感にあふれています。このペルセポリスもアレキサンダーの焼き討ちによって滅びました。

 

 イランは今はイスラム教ですが、元々は拝火教で、ヤスドにはゾロアスター教の寺院や、鳥葬の跡が今でも見ることが出来ます。ペルシャの遺跡というのはその頃のものです。

 ペルシャ時代にはカナートといわれる井戸が、水脈に沿って掘られ、北はアフリカのモロッコまで繋がっています。ペルシャ時代、金持ちが井戸を掘らせ、水脈に当たると次々に掘り進み、自分の土地にしたのです。近代になってスプリンクラーの発達で、それもやがて見ることが出来なくなる出しょう。今は使っていないのですから。

 

シリア、ヨルダンはアラブ系の人間ですが、イランはアジアに属するのです。同じイスラム圏でも微妙に違いますね。私達には顔を見ただけでは見分けがつきにくいのですが。

 

イランもシリア、ヨルダン以上に見るべきものがたくさんあります。

同じイスラムと言っても、ここはシーア派でモスクは青タイルで非常に美しいのです。私はペルセポリスも見たかったのですが、青タイルのモスクを見るのも旅の目的の一つでした。

 イスファハンは「世界の半分」と言わさせたイマーム広場があり、その広場でポロの試合を王様が楽しんだと言うのです。青タイルの美しいモスク、1階がバザールになっています。モスクは本当に美しく、青い空に青いモスク、タイルの模様が一つひとつ違うのです。

 イスファハンは昔から医学も発達していて医療器具のメスなど博物館に展示されています。

 「バラの町」シラーズはエラム宮殿があり、私たちが行った季節はバラにはちょっと早く、ポピーの花盛りでした。バラのシーズンには街全体がバラの匂いといいます。現在「エラム宮殿」は法科大学になっています。

詩人の街としても有名で、その廟に行くと詩が書かれています。今も通じる言葉です。

人間には二つの心があり、『貯金しても使わないで死ぬ』、『勉強して使わない』このような生き方はダメである。と詠っています。本当にそうですよね。

 旅行者も女性はボディラインを隠し、頭はスカーフを被ります。暑い日に慣れない私たちは大変です。

 イランも古い国で、ペルシャ帝国として歴史に残っているのです。

 今年のイランは冬が寒く、テヘランでは4000メートル級の山にまだ残雪が残り、丁度お祭り後にかかったので美しいアルボルズ山脈を見ることが出来ました。

車が凄く、排気ガスでいつもスモックでアルボルズ山脈は見られないそうです。

 ホメイニン氏によって倒れたバーレビ国王の宝石がイラン国立銀行の地下に保管されています。その展示ケースの前に柵があり、それを握り締めて見ると警報が鳴り、展示室に閉じ込められます

 

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