| 東北 |
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今回『スカタン会』、というグループ総勢7名の珍道中の東北旅行。 最高年齢者80歳、一番若いのが60歳というグループなのだ。 個人旅行にするとあまりにも料金が高く、某旅行社の『十和田・田沢湖・松島』というのに乗っかって行くことになった。7名となると一番厄介なのが皆のスケジュールの調整。結局5月に行く予定を1ヶ月繰り下げ6月14日から2泊3日に決まった。だが青森に着いてびっくり!総勢42名というではないか。 北陸、中部、九州からも参加しているのだ。
1日目 6月14日、この日も私はチェックインなどがあるから私達4人は一足先に伊丹空港へ行く、ということにしていたのに伊丹に着くともう来て待っている。年寄りは気が早い。 チェックインを済ませ、荷物を積み込んでもらいJAL2151便で青森空港へ向かう。 梅雨の時期であるが天気は晴で上々の滑り出し。実は私達割合に晴女の集団なのである。したがって雨傘の用意をしているものがいない。 私のカメラが初日、奥入瀬渓谷に入る手前で壊れ写真が無い。友人に奥入瀬だけは借りたのだが。後は得意技の写真からデジカメに取り直す、ということをやろうと“うつるんですよ”を市価の3倍の値段で買ったが、写真屋さんに曇りや木の多いところは暗いのでフラッシュをたかないと写らないよ、といわれ出来上がった写真からの転写は無理になった。 |
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八甲田萱野高原のゴールドラインを走っていると道沿いに水芭蕉が咲いているのがところどころで見られる。 今年は雪が多かったので今も残雪が50センチくらい残っているところがある。 白神山系はブナ林だが青森は標高1000メートルくらいではトド松が自生し、濃い紫の松かさをつけるのだそうだ。 |
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八甲田の9連峰も全部見ることが出来た。一番高い大岳は標高1584メートル、ブナ林に木漏れ日が落ち新緑が非常に鮮やかである。若葉もみじ、とはいいえた言葉である。 十和田八幡平国立公園の一部である。山には1000種類の植物、860の動物が生息しているそうだ。 焼山からゴールデンルートを下っていくと葛川の流れが見えてくる。奥入瀬川と合流して奥入瀬渓谷へと入る。奥入瀬川は十和田湖から流れ出し太平洋へと流れていく。 30分ほど渓谷を歩くのに、我々のグループは歩くのが嫌だとバスに残るのが3人、4人は勇んで歩き出した。 |
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奥入瀬渓谷には14の滝があり、青白い清流と新緑が非常にきれい。 道は昨日は大雨だったそうでかなりぬかるんでいる。 マイナスイオンも一杯で気分も爽快になる。 |
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子ノ口から十和田湖遊覧船に乗る。 2階のグリーン席にする。やっと7人だけになれる。 十和田湖は青森と秋田にまたがる湖で周囲416キロメートル、水深は一番深いところが401メートルのカルデラ湖。2重陥没湖である。これは2回の噴火と陥没で出来た。カルデラとはポルトガル語でお鍋という意味だそうだ。 湖面から高さ200メートル、幅500メートルの切り立つ崖、噴火の際の鉄分で赤く見える五色岩、材木岩、六角柱の岩などを見る。 青い湖面と木々の緑のコントラストが美しい。 休屋で遊覧船を降り湖畔に立つ高村光太郎作の“乙女の像”を見る。非常に女丈夫な乙女像である。 |
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夕方早く十和田ホテルに入る。 ロビーに入ると私達の部屋は本館だという。ホテルの人が「是非見て欲しい」という本館2階に案内された。 本館玄関から吹き抜けになっていて少しだが回廊風にしてある。 建物好きの私にはカメラが無いのが非常に残念。 |
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昭和15年の幻のオリンピックにあわせて造ったホテルで、昭和13年に完成したもの。88人の宮大工を集め釘を1本も使わずに建てたもの。 玄関正面にある大きな金庫、2階天井から下がっているシャンデリアも当時のもの。重要文化財に指定され、維持管理が大変だそうだがホテルの人は建物にプライドを持っている。 夕食時食前酒に梅酒が出た。Hが「ムーさん飲んで」と差出され飲んでいると皆の分が回ってきた。結局バカみたいに次の日も7人分の食前酒を片付けることになった。他のお酒は一切だめな私が。
2日目は発荷峠、後生掛温泉、思い出の潟分校、田沢湖、角館と周る。 発荷峠から十和田湖を見る。湖から霧が立ち上がり幻想の世界である。 標高981メートルの八幡平を走り後生掛温泉に向かう道も木々の緑が瑞々しい。 後生掛温泉では自然研究路散策か温泉か二択だが、一も二も無く歩きたくない私達、温泉へ直行。温泉では黒いゆで卵を売っていて、これを食べると寿命が3年延びるんだそうだ。「寿命は延びなくてもいいから買え。」と、言うことで買ったはいいがだれも食べない。(因みに今回私が会計係、危ないものです。)最終日仙台空港で食べたのだが、そのときは黒色がだいぶ剥げ落ちていた。 ここで昼食を済ませ、玉川ダム、切畑ダムの美しい景色を見ながら、食後の昼寝。 |
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↑校舎横の林と維持協力金のポストカード ←校門
田沢湖畔にある潟分校は明治15年に開校されてから昭和49年の閉校まで田沢湖町立生保内小学校潟分校として子供達が学んでいた。 平家の落人の村、陸の孤島といわれていた集落に出来た学校だった。 30年近く忘れらていた分校だったが、鶴の湯温泉の社長が買い取り、観光施設として、ギャラリーとして、また体験学習の教室として使われている。行った時は写真展が開かれ、教室では何かの学集会が開かれていた。木造校舎の懐かしい原風景の一こまである。 |
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田沢湖に立つ金色の辰子像を見る。 昔々のその昔、若い娘が毎日観音様に『何時までも若く美しくおれますように』と、祈った。すると夢枕に老人が現れ「泉の水を飲むように」と、云われた。それを聞いた娘は夜中に家を出て歩くと水が湧き出しているところがある。これがその泉だろうと思い一口飲んでみる。しかしその水は喉の渇きを誘う水で、ごくごくと飲んでいるうちに自分の体がおかしくなり、いずみに体を映すと白い大蛇に変わっていく姿を見た。それを悲しんで流した涙が田沢湖になった、という伝説があるそうな。 田沢湖もカルデラ湖で周囲21キロメートル、一番深いところは水深423メートルでこれは日本一深い。 湖畔から湖を見ていると小魚が群れをなして泳ぎ、また反対方向へと泳いでいる。先頭の小魚がまるで号令でも掛けているような整然とした泳ぎである。 車窓からも見ているのだが、湖畔にも大きな葉をつけた蕗が自生している。
角館の武家屋敷は風情があり、街並みが美しい。 さくらのころの角館の広告はよく見るが、私達はさくらが済み、葉桜の中に赤黒いサクランボが一杯付いているのを見る。街並みのさくらは枝垂桜だ。 バスのガイドさんは面白い人で、「目の前でさくらが咲いていると思って見てください。」と、いう。本当に満開のさくらを想像すると綺麗だろうな、と思う。 武家屋敷に似合うような赤レンガの建物が『角館町樺細工伝承館』。中に入るとさくらの皮を使った細工物が並び、実演もしている。 公開している武家屋敷の一つ『石黒家』を4人で見る。 中に入ると女性が待機していて説明をしてくれる。 石黒家は佐竹北家の家臣で財用役や勘定役などの財政面を担当していた。 嘉永6年(1853年)に蓮沼七左衛門から買い受け、そのときの図面が残っており、今の主屋の部分とほとんど変わっていないそうである。 主人、武士専用の玄関を入ると居間になり、殿様、家老専用の玄関(そこは見せていない)もあるのだそうだ。 部屋の欄間は木目を生かして透かし彫りの亀が泳でいるように見える見事なもの。 土間に下りると白と黒の2つの蔵があり、白い蔵は展示物を公開している。 築200年くらいだそうだが、今もこの家で人が暮らしている。
角館のお菓子で“生モロコシ”が有名だそうだ。さっそく試食大好き人間の私達試食をし、買い求める。モロコシというがトウモロコシでなく小豆を粉にしたものだそうだ。冷凍にして食べると美味しいという。お店でも冷たいお菓子が置かれていた。落雁のようで落雁にあらず、変わったお菓子である。角館、ソフトクリーム屋も多い。お店で買って食べてみる、味は何処で食べてもソフトはソフトだった。 角館を後に国道46号線を走り今夜の宿へと向かう。 20の橋と8つのトンネルを越えて秋田と岩手の県境を走る。8つ目のトンネル(2540メートル)は県境にあり、厄介者のホタテの貝殻とガラスの粉を混ぜて造ったそうである。昭和50年当時のお金で50億円かかったそうだ。 このあたりで吹く風を『東風』と書いて『オホナイ風』といい、太平洋側に入ると『ヤマセ』になる。 車中からは川の流れは雪解け水で水量も多く、新緑も美しいので癒し効果満点。しかし車内は美しい景色より睡魔のほうが勝っているようである。 宿に着き、夕食後Hと二人マッサージを頼み体をほぐしてもらう。40分なんてあっというまに過ぎ、もう40分頼もうかと思案したが隣の部屋でみなが待っているので話しに加わった。
さて3日目、昨夜雨が降ったのだがまだ降り足りないようなお天気である。 衣川にかかる衣川橋を渡って中尊寺へ。 中尊寺は雨あがりでしっとりとした参道を歩いていくと本堂、金色堂が見えてくる。参道の木々は高く、地面は苔むしなんとも落ち着いたたたずまいである。 中尊寺は藤原清衡が創建し藤原三代が祀られ、義経が最後を迎えたところとしてあまりにも有名なところだ。 専門ガイドが付き説明してくれる。金色堂は修復をドキュメンタリーで見ていたが、ガラス越しに見るが見事な螺鈿細工に驚く。藤原三代の栄華と文化の高さの表れである。 |
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瑞巌寺は天聴5年(828年)円仁が創建した天台宗のお寺だったが、慶長15年(1610年)伊達政宗によって再興され瑞巌寺となった。 ここも専属ガイドが案内してくれるのだが、話術が上手く、笑いを誘いながら話に引き込んでいく。 瑞巌寺に入ると岩をくりぬいた僧侶の修行の場 |
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が残っている。世の東西を問わず人間の考えること、することは同じなんだ、という思いがする。 398年間一度も塗り替えたことが無いという回廊を見て周る。 茶坊主の間から孔雀の間、上段の間などを見る。さすがに襖絵は傷みがひどく修復し、今見るのは模写したものである。それでも見事な襖絵である。 瑞巌寺の参道を歩き、山門に向かうと見えるのは松島湾の海。 『松島や ああ松島や 松島や』とうたわれた芭蕉の時代とは大違い。若し芭蕉が今のこの景色を見たら卒倒するだろう。 因みに『松島や ・・・・・・』は芭蕉の句でなく狂歌師田原坊が『松嶋や さてまつしまや 松嶋や』と作り、『さて』が『ああ』に変わって伝えられいるそうである。 瑞巌寺を出て遊覧船に乗り換え塩釜に向かう。 松島湾はリアス式海岸で大小260の島があり、島の名前などが船内テープから流れてくる。 お天気が悪くどんよりとした曇り空では島々も映えない。 遊覧船が塩釜に着くと先回りしていたバスが迎えに来てくれており、仙台空港へと送ってくれた。 私達は神戸空港が出来たので帰りは神戸空港へ、といっていたので出発は19時45分と遅い。 空港内でレストランを探したがファミリーレストランのようなものしかなく、「仙台らしく美味しいものを食べよう」といっていたが何処ででも食べられるものが最後の食事と相成った。 空港に付きすぐにチェックインをしたのだが示された席は最後部座席。そこで「高齢者も参加していますし、到着したときの電車の接続の都合もあるのでばらばらでいいですから前の席をお願いできませんか。」と、聞いてみたところ3人は最前列、あとは4列目、7列目となった。皆は「よく言うよ。電車なんか乗る気もないくせに。」だが、しかしこれが神戸に着いたときには効いたのだ。最初のシャトルバスに乗れたではないか。機内は満席だったんですから。 何のための神戸空港着だったのか、着くとすぐに空港の見学などせずタクシー乗り場に一直線、2台に分乗し2泊3日の東北旅行は終わったのである。 しかし飛行機は早い、1時間半ほどで仙台から神戸に帰れるのだから。 |
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←青森しか売っていなかったキャラメルの箱。 お土産買い捲りの人もそうでない人も荷物をつなぎ温泉から宅急便で送り、身軽になって帰りました。 |