| 我が憧れのトルコ |
| 長年憧れていたトルコに、1997.5.15から17.までの13日間の旅日記である。 文明の十字路といわれ、アジアとヨーロッパにまたがる国、日本の国土の2倍に人口は半分という国。 紀元前から歴史上に登場し、アッシリア、ペルシャ、ギリシャ、ローマと様々な民族に支配され、オスマン帝国に征服され、現在は共和制のイスラム国家である。 今回のルートは 関空から直行便でイスタンブールへ→アンカラ→トゥズ湖を経由してカッパドキア→シルクロードを南下しながらコンヤ→南下しながら地中海のアスペンドス→今度は西進しエーゲ海のエフェソス→エーゲ海を北上してペルガマ遺跡→トロイ遺跡→チャナカレからダーダネルス海峡を渡りイスタンブール というコースである。(残念ながらマップがありませんが、あなたのマップを見ながら私の旅を追ってください。) |
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☆5月5日 1日目
関空発12時のTK−507便でイスタンブールへ。 イスタンブールには定刻より早く着き、3時間の時間待ちの後アンカラへ。 機内から見える景色はチベット方面からヒマラヤ山脈にかけて雪を被った山々が連なり、ゴビの砂漠は風紋まで見える。 カスピ海が見え、トルコ上空に入るとカッパドキア地方は砂漠のように見え、青い湖や緑の木々が見える。トルコも高い山は雪を被った連山が連なり、村落も見え箱庭を見ているようである。 最初に驚かせられたのがトルコリラ、日本円1円が1000トルコリラ。これは慣れるまで頭がおかしくなりそう、表示されているのは千の単位を省いて書いてある。だが凄く金持ちになった気がする、10万トルコリラ札を持っているのだから。
☆5月6日 2日目
アンカラからカッパドキア地方へ。 アンカラはアナトリア高原の盆地にあり、トルコの首都である。 先ず、キャラバンサライを改造して造られたアナトリア博物館へ。 ヒッタイト時代の遺物がたくさん展示されている。中でも土偶のキベレという豊饒の女神や、ライオンの像などが見ものである。 次にアタチュクル霊廟に行ったのだが、大理石の参道の両側には規則正しく並んだヒッタイト様式のライオンがずらりと並んでいる。霊廟には陸、海、空の衛兵さんが立っている。上手く衛兵の交代の時間でそれを見ることが出来た。 きびきびとした動作は見ていて気持ちがいい。 アンカラには面白いものがあり、それは『夜の家』というもので、夜の間に20人ぐらいで一晩で家を一件建ててしまう。勿論違法建築だからしばらくはライフラインがない、しかし役人もそのうちに付けてくれるのである。 |
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アンカラからトゥズ湖への道 |
アンカラから100キロメートルほど南下すると、塩湖のトゥズ湖へ着く。 バスの中から見える景色は、はるか彼方まで草原が続き、小麦畑がありその中にアマポーラの赤い花が咲いていて非常に綺麗。 草原が途切れると塩をふきだした荒涼たる景色に変わる。 |
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片側に目をやるとトゥズ湖が見え出してくるが、行けども行けども湖が途切れる事がない。琵琶湖の3倍の大きさがあるんだそうだ。 |
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トゥズ湖畔の野生の花 |
農地の中にあるキャラバンサライの廃墟 |
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トゥズ湖は夏になると干上がり、塩の平原になるというが、私達の行った季節はキラキラと輝く美しい湖だった。波打ち際は茶色く泡立ち、なめてみると物凄く辛い。 赤い岩肌を曝した小高い山が連なり、麓は小麦畑や平原でその中にキャラバンサライの廃墟がある。 夕方目的地のカッパドキアに着く。今日の走行距離225キロメートル。 |
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☆5月7日 3日目
終日カッパドキアの観光。 カッパドキアの奇岩群は火山灰地で土地が柔らかく、今も侵食が進みまだ進行中である。 土地が柔らかいため、ここを掘り進んで住居とした跡や倉庫として使われている。倉庫は天井部分に煙突のように穴を開け、空気抜けを作り中の温度を一定に保っている。トルコの果物の80%を一端ここに集め、年中ここから各都市に搬出する物流倉庫の役目をしている。 ホテルを出てウチヒサールに着く。ウチ=尖った、ヒサール=城という意味で尖った砦のこと。ギョレメ=見えない、という意味だがここウチヒサールからはギョレメの谷が一望できる。 ウチヒサールからカイマクールまで行き、カイマクールの地下都市を見る。 キリスト教徒がイスラム教徒のアラブ人にに襲撃された時、攻撃から逃げるために造られたもので地下8階までに及ぶ。岩や岩盤を刳り貫き、人一人が通るのがやっとの細い道を降りていくとホールに出る。中では牛を飼い、ワインを醸造し、ホール、キッチン、食堂、教会、墓地まであり1万5千人が生活できたというから驚きである。地下の入口には、外敵が攻めて来たときに入口をふさぐ大きな石が置いてある。火を使った時の煙の抜け穴、空気の取り入れ口などがあり生活をするのに不便がないようにしてある。 ギョレメ野外博物館は、谷間に岩窟教会が集まっている。侵食と風化が進み、昔は見えなかったものがむき出しになっている。キリストや聖人のモザイク画がよく残っているもの、かすかに残っているもの様々である。リンゴ教会が有名、また蛇は当時も邪悪なものとして描かれた教会跡などがある。 |
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カッパドキアの奇岩群 |
鳩の巣 |
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ゼルベはまさに奇岩群の集まった所。キノコ形をした岩がこれでもかとある。木のない岩からニョキニョキとキノコの形の岩がせり立ち、二つとして同じ形の岩がない。『3美女の岩』、『駱駝』の形をした岩などがある。鳩の巣は糞を集めて肥料にするためのもの。 ユルギップというところを通るのだが、そこからは火山灰地を掘り進んで住居にした跡が見える。今は危険なためそこには人は住んでいないが。 今日はたっぷりとシメジのようなキノコ群と教会跡を見た1日だった。
☆5月8日 4日目
午前中もう一度カッパドキアのアクサライ=白い宮殿という所に立ち寄り、古都コンヤへ向かう。 コンヤへの道でトルコ政府認定の絨毯学校に立ち寄り、繭から糸紡ぎ、絨毯織などを見る。最後はお決まりの絨毯の販売がある。私の気に入ったのは54万円ととても手が出なかった。 午後からシルクロードを走り、キャラバンサライを見学する。中は薄暗く、2階の窓から光が入るようにしてある。外壁からの窓は小さく、中に向かって広がるように作られている。これは外敵の襲撃を受けにくく工夫されたもの。1階には馬や駱駝を休ませ、人々は2階で休むようになっていてハマムも用意されている。 当時隊商隊は常に盗賊に襲われる危険に曝されており、大体40キロメートルごとにキャラバンサライは作られていた。キャラバンサライはスルタンハイともいわれ、スルタンも力を入れ、国営で宿泊料も無料だったそうだ。地元の人とも商取引をし、13世紀から18世紀頃まで続いた。 コンヤはアナトリア高原の中央に位置する大平原にある。トルコで一番広い面積を有する古都である。 ビュック・カラタイ神学校はセルジュクの高官ジェレッデェン・カラタイによって作られた神学校で、今は陶器博物館になっている。中に入ると青いタイルのドームの下は泉になっていて、壁に使ったタイルの絵柄などが面白い。 メヴラーナ博物館は、メヴラーナによって始った神秘主義的な教団で白いスカートのようなものをはき、円を描くように旋回しながら神と一体化していく。今は政教分離で禁止され、毎年12月17日だけ旋舞される。 |
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コンヤのホテルで行われた旋舞ショウ |
夜ホテルで旋舞のショウがあるというので申し込んで見た。 楽団が入ってきて椅子に座り、次に導師のような男は白い服の上に黒いマントのようなものを羽織、旋舞する人たちが入ってきて始る。 始めはゆっくりと、段々に早くなりやがて陶酔状態に入っていく。 旋舞できるようになるにはメートル四方の板の上で四ヵ月の訓練がいるという。 |
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今日はカッパドキアからコンヤまで150キロメートルの移動。 |
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☆5月9日 5日目
コンヤから西に向かって進んでいく。 雪を冠ったエデキュル山は2992メートルの高さ、右手にはペイジュル湖を見ながらの走行で、とても景色がいい。 もう一つの湖エイーデイル湖に向かった走る。段々に山が高くなり、リンゴ畑である。リンゴ畑を走り、エイーデイル湖を回りながら下に下りてくる。 |
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エイーデイル湖 |
エイーデイル湖の水は綺麗に澄んだ美しい湖で、対岸には雪を冠った山が見える。 このあたりはトルコの湖水地方と呼ばれている。 今日の昼食はこの湖畔のレストランで取った。 |
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昼食後、イスバルの町を南下してアスペンドスに向かって走る。 地中海に近くなってくるので、土地も肥沃になり小麦の穀倉地帯になる。見渡す限り小麦畑が広がり、その中に真っ赤なアマポーラの花が咲いている。 荒涼としたアナトリア地方とは格段の景色で、心まで和んでくる。 |
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アスペンドス遺跡は現在残っているのはローマ遺跡である。 歴史は古く、ヒッタイト時代から集落があり、そこにギリシャ人がアクロポリスを築いた。アレキサンダーによって破壊されたアクロポリスの上に、ローマ人が再建したものである。 2世紀に造られた2万人収容できる劇場で今もコンサート会場として使われている。 |
アスペンドスの円形劇場 |
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今日は湖水地方のエイーデイル湖を通り、アスペンドスの円形劇場を見て、約300キロメートルを走破し、アンタルヤに着いた。 アンタルヤは地中海のリゾート地として有名な所である。
☆5月10日 6日目
先ず都市国家として栄えたペルゲへと向かう。 ペルゲは紀元前三世紀の遺跡で、都市国家として栄えたが今は草原の中にあり、聖パウロも布教に来たという。 |
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都市国家ペルゲの遺跡 |
当時都市国家として栄えたというのは、2世紀のごろの長円形の競技場跡、石積みのアーチ、城門などを見るとよく分かる。 これらの遺跡を見ていると、時の流れの無常を感じる。 |
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ペルゲを後にして、パムッカレまで300キロメートルを走る。 パムッカレ=綿の城には午後2時ごろに着き、先に石灰花壇の上にあるヒエラポリスの遺跡を見に行く。 ヒエラポリスの遺跡は、紀元前2世紀ペルガモン大国のエウメネス二世時代の遺跡で、入口には当時の貴族の高官の石棺がゴロゴロと転がっている。 遺跡の中は石柱が並び、天上の抜けた浴場跡がある。浴場跡の構造は良く残っている。 |
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ヒエラポリスの中の泉から流れる温泉が石灰花壇を作っている。石灰部分が流れながら堆積し、温泉が溜まった所は生ぬるく、ヌルヌルと滑りそうである。 石灰花壇は光り輝き、青い水とのコントラストが非常に綺麗。だがサングラス無しではとても眩しくて見れない。 棚田のようになっていて自然が作り出した景色である。 |
パムッカレの石灰花壇 |
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この石灰花壇も、痛みが激しく、私達は中に入って楽しむ事が出来たが、次の週からは柵越しに見たとか。世界遺産にも登録され、トルコ政府も保護に乗り出したのと、泉の水が枯れかかっているという。
☆5月11日 7日目
エーゲ海を西に進み、エフェソスに移動。 エフェソスは『エーゲ海の2つの薔薇』といわれる所の1つである。 先ず山の上にあるマリアの家を見に行く。今ではバスで簡単に行く事が出来るが、道路が付いたのは30年前、バスが通れるようになったのは15年前から。聖母マリアの家は世界に2つ在るといわれ、もう1つはローマにある。 カトリック教徒にとっては、ここに来ることは巡礼と同じ意味を持つ。 家は石造りで小さく、中には中央にアーチ型の祭壇があり、蝋燭が対にともされ真中に花が飾られている。 |
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エフェソスの遺跡・ハドリアヌス神殿跡 |
エフェソスはローマ時代の都市国家の遺跡。広大な遺跡の中には夫々通りに名前がついており、当時の繁栄振りがうかがわれる。 入口を入ると体育場跡、浴場跡、広場の両側には裕福な商人の家の跡などがある。通りにはモザイク画が残っている所もある。 丘の麓に石積みのアーチだけが残り、 |
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草原の中に列柱が並んでいる。歩き進んで行くと、野外劇場、公衆便所跡、ケルスス図書館、コリント様式のハドリアヌス神殿のアーチだけが残っている。 公衆便所は等間隔に穴があいていて、皆で談笑しながら用を足したのだろう。下には水が流れるようになっているので、溜まる事がないよう工夫されている。 ケルスス図書館は修復され立派な門が建っている。アレキサンドリア、ペルガモンに次ぐ蔵書が収められていた。またマーブルストリートには世界最古の広告が残っている。図書館の地下からも行けたという売春宿の広告である。 アルカディアネ通りは今は堆積した土でエーゲ海が遠くになったが、昔は港がもっと近く、クレオパトラも船でここに来て歩いた通りである。 世界七不思議の1つ、アルテミス神殿は柱を1本残しているだけ。 足早に見学を終えて、クシャダスまで行き、今日の予定は終わり。 今日の走行距離は200キロメートル。
☆5月12日 8日目
今日は『エーゲ海の二つの薔薇』の2つ目、ペルガマである。 トルコ第3の都市イズミールは港町で、貿易港だけに活気があるが、水も汚く素通りしペルガマに向かって走る。 ペルガマはヘレニズム時代からローマ時代にかけて栄えたぺるがマン王国の遺跡である。 数多くの神殿や図書館を造り、ペルガモンの図書館の蔵書は20万冊に及んだ。エジプトのアレキサンドリア図書館が恐れをなし、パピルスの輸出を禁じたため、パピルスに変わる羊皮紙が発明される事になる。 現在ペルガマ遺跡はドイツのペルガモン博物館に展示されているので、ここにあるのは土台だけが残っている。 アクロポリスは高台に築かれた城砦で、その周りには神殿、5万人収容の野外劇場があった。 クズル・アウル=赤い館という意味の神殿跡が残っているが、赤くなければわからない。元々はエジプトのイシス神殿だったが、キリスト教がローマ国教となり改築されたものである。 アスクレオンは当時の医療施設で、聖なる泉で身体を清め、地下道をくぐり円形の治療所に入る。そこには夢の小屋があり、患者は眠りにつくと神の声が聞こえてくる。本当は壁に埋め込まれた土管を通じて医師が治療法や薬の名を囁く、心理療法であった。円形劇場になっているので、後で演劇をしたり、スポーツをしたりするのも治療の一貫として行われていた。 今日の宿泊地はアイバルクという、エーゲ海のリゾート地である。 クシャダスからアイバルjクまで170キロメートルの行程だった。
☆5月13日 9日目
アイバルクからトロイまで130キロメートも走る。 トロイ遺跡の入口には有名な木馬の複製が置いてある。物凄く大きいものである。傍に人間が立つと小さく見える。 トロイ遺跡はシュリーマンが父から聞かされた『イリアス』のトロイ戦争を信じ、1873年5月に発見した。 入口から順番に見ていくと、生贄をささげた所、音楽によって病気を治す野外円形劇場などがある。それらを1時間ほどかけて回る。 トロイ戦争はギリシャと10年もかかったのに、最後は木馬のトリックであっけなく終わり。 昼食後、チャナッカレからフェリーで20分でアジア側からヨーロッパ側に渡り、陸路でイスタンブールへ行く。イスタンブールは大都会、近ずくに従い渋滞もひどくなる。市内に入ると有名なガラタ塔や、ローマのヴァレンス帝が4世紀に築いた2階建ての水道橋が見えてくる。 だが不思議なもので、今まで遺跡や長閑な田園風景ばかりを見てきたので、この喧騒が妙に懐かしく感じられた。
☆5月14日 10日目
イスタンブールはローマ帝国以来1600年にわたって首都として栄えた都市である。しかし、第一次世界戦争に破れ、政治も政教分離になり首都もアンカラに移った。今も人口700万人を越えるトルコ最大の都市である。 堅固な城塞都市東ローマ帝国のコンスタンチノーブルから1453年メフィット二世率いるオスマントルコに陥落し、イスタンブールと名前も変わった。 金角湾、マルマラ海峡、ボスボラス海峡がイスタンブールを取り囲んでいる。 ブルーモスクは青を基調としたタイルで内部の柱、壁が飾られているからそのように言われているが、正式にはスルタナーメッド・ジャーミーという。 6本のミナレットを持つ美しいモスクで、窓から差し込むステンドグラスの光も幻想的である。 6本のミナレットを持つに至ったのは、スルタンが設計者に「金のミナレットを造れ」と言ったのを「6本のミナレット」と聞き違えたからである。 |
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アヤソフィア |
アヤソフィアは、ブルーモスクから歩いていける距離にあり、もの売りが煩く付きまとう所。「いらない」を連発していると「ビンボウ!」と、悪態をついて離れて行った。 現在ここは博物館になっているが、コンスタンチノーブル陥落の折には、奇跡を信じてキリスト教徒が礼拝をしたところ。 メフメット2世が教会のモザイク画に漆喰を塗ってモスクに改修した。 |
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アタチュクルの時代になって、今度はその漆喰を剥がし、状態の良いのはモザイク画が見れるようになった。2階の回廊をあがると聖母マリアがキリストを抱いているモザイク画がきれいに修復されている。 トプカプ宮殿はボスボラス海峡に向かって建造された宮殿で、トプカプ=大砲という意味で『大砲門』といわれる。中には陶磁器博物館、宝物館、ハーレムなどがある。 陶磁器博物館には中国、日本からはるばるシルクロードを通り運ばれた陶磁器が展示されている。 宝物館には真珠、ルビー、エメラルドなどの宝石がちりばめられた玉座、宝剣、甲冑などがある。中でも有名なのが『三本のスプーン』といわれる49個のダイヤモンドに縁取られた86カラットのダイアモンドである。 これでもかといわれるぐらい宝石を見せられると、不思議に欲しいと思わなくなる。 ハーレムはまるで牢獄である。女=奴隷が逃げられないように、窓には鉄格子がはまり、スルタンの寵を得るための権謀術数の場。ハーレムで一番の権力者はスルタンの母である。 次に行ったのは地下宮殿といわれるところ。 ビザンチンのユスティニス帝の時に建設された貯水池である。中は縦140メートル、横70メートルの広さがあり、336本の柱がある。石柱は各地の異教徒の神殿から石材として集めたもの。メドゥーサの首が逆さまと、横向きで土台として使われている。敵に攻め込まれた時、ここを満水にすると1ヵ月分の水が貯えられた。この中は天上からポタポタと水がたれ、カフェまで出来ている。 グランドバザールに行くと、迷路のようになっていて、何でもある。「バザールでゴザール、見ていって!」と呼び込みが盛んだ。貴金属屋の多いのに驚く、イスラムの人は金が好きだから。
☆5月15日 11日目
終日自由行動の日、私達はエミノニユというところからフェリーでウスクダラに渡った。あの歌で有名なウスクダラである。ウスクダラは坂道の多い住宅街で、焼きたてのパン屋を見つけ、というより匂いに引き込まれパン屋へ行きパンを買う。そのパンの美味しい事。 |
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ボスボラス海峡から見たガラタ塔 |
ボスボラス海峡から見たウスクダラのモスク |
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ウスクダラからはイスタンブールに通勤している人が多く、乗船時間20分である。船の中からイスタンブールのガラタ塔、トプカプ宮殿、ドルマバブチェ大橋、アジア側に近ずくと乙女の塔などが見える。 イスタンブールに戻り、船の中で調理をして売っている鯖サンドを買って食べる。鯖だからと思っていたのだが、日本のと種類が違うらしく、生臭くなく小ぶりで美味しい。パンを売っているお兄さんは、粋なチョッキを着て調理し売っていて昼時だけにとても忙しそう。 ガラタ塔に上がるためガラタ塔を目指して行く。ガラタ塔はジェノバ人の居住区を取り囲んだ外壁に建てられた塔である。14世紀から15世紀にかけて物見の塔として使われた。今は8階までエレベーターが付き、階段を1階上がり9階のベランダに出る。周りの家々は今にも屋根が抜けそうだったりで、糸杉の植わった当時の面影は何処を探しても無い。ガラタ塔も夜になるとベリーダンスの会場になっている。 3時から軍事博物館で軍楽隊の演奏があるので、それに間に合うように軍事博物館へ行く。 博物館に入るのに物凄い厳しいセキュリティーチェックがある。バッグの中まで見せてやっと入場OK。 中には武具や刀剣、時代順のパオが展示されている。 軍楽隊の演奏は、当時の衣装を身にまとい50人ほど楽隊が夫々の持ち場で演奏をする。音響効果も良く、日本人が多いのでサービスに「さくら、さくら」の演奏までしてくれた。 トルコ軍の太鼓の音を聞くと、他国の兵士は恐れ戦いたというほど獰猛果敢な兵士達だったのだ。どこか物悲しい調べだが、勇気を鼓舞するためと、戦の合図だったという。 今日は自由行動を十分楽しんだ1日だった。
☆5月16日 12日目
出発まで自由行動なので、ドルマバフチェ宮殿を見たいと思っていた。個人で行くと何時見れるか分からないのと、希望者が多かったので皆で行く事になる。 トルコに来たのだから、チャドルに身を包み、目だけを出している女性を見たいと思っていたら、ここで見ることが出来た。本当は写真に撮りたいがそれは叶わぬ事である。 ドルマバフチェ宮殿はベルサイユ宮殿を真似して建造された宮殿で、ボスボラス海峡に向かって建っている。スルタンも1856年からここに移り住んだ。 宮殿内部は4.5トンもあるフランス製、ボヘミアンガラスのシャンデリアが吊り下がり、絨毯はシルク、ウールなどで敷き詰められている。1枚がなんと88平米以上もあるから驚きである。廊下、壁にもたくさんの絵画が飾られ、スルタンが住むに相応しい豪華な宮殿である。 アタチュクルもイスタンブールに来た時は執務室として使っていた。 イスタンブールはまだまだ見る所がたくさんあり、またゆっくりと再訪したいと思う。 定刻15時15分発の飛行機で、思いで多いトルコを後にした。
☆5月17日 13日目
定刻通りに関空に着き、長年憧れていたトルコのたびも終った。
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