ラスト・ボレー 2/5
| 自宅に戻ると、私は同窓会名簿をめくっていた。 住所と名前がわかれば、連絡などたやすい。お目当ての名前を見つけ、私は密やかにほくそ笑んだ。 受話器を取りだし、電話局に問い合わせる。 「はい、名前は和田エリカ、住所は・・・」 判明した電話番号を押し、私は心躍る思いで相手が出るのを待った。 『はいっ、どなた?』 「私よ、飯山睦子、覚えてるかしら?」 相手は、明らかに狼狽していた。 『・・もちろん、覚えてるよ、でもね先に言っとくけどさ、私はもう変わったんだ、今じゃまっとうな人生を歩んでるんだよ、邪魔しないでほしいね』 「ふふふっ、別にあんたの過去をほじくり返そうだなんていう気持ちはないよ、そんなことをすれば、こっちだってたたけばほこりが出る身なんだから」 「悪いけどさ、私、ガキがいるんだよ、あまりあんたとこうしてる時間はないんだ」 小麦色に日焼けした両脚を惜しみなくさらけ出し、エリカがジュースをすすった。 「へえ、結婚してたの」 「そんなんじゃねえけどよ、男はとっくに逃げちまってさ、母子家庭ってやつだよ」 金髪に染めた髪をいじりながら、エリカは居心地を悪そうにしている。 「お子さんは、おいくつ?」 「5つと3つ、手のかかるさかりでね、うるさいったらありゃしない」 「ふうん・・・おひとりで育ててるってわけ?」 「まあね、あと一時間ほどで保育園に迎えに行かなくちゃなんないんだ」 「お仕事は、どうなさってるの?」 「それがさ、いちおう昼間はパートに出てることになってんだけどさ、すぐに辞めてやったんだ、そうでもしなきゃ保育園に入れてもらえなくってね、その実プータローってわけ」 「そう、それじゃ生活大変でしょう?」 「内緒で週に3度、スナックでバイトやってんだ、それに生活保護貰ってるからね、あそこの家にしたって、民生委員の紹介で家賃もバカみたいに安くってさあ」 内心、私はエリカのことを軽蔑していた、女を商売道具にするなんて恥知らずにもほどがある、所詮はヤンキー張ってたツッパリコギャルも、その末路はこんなもんってわけね。 「で、いったい何の用だよ、私はあんたとは二度と会いたくなかったんだけどね」 「ふふっ、こっちもそう思ってたわ、でもどうしても力を貸して欲しくってね」 「じ、冗談じゃないよ、あんたと関わってるとろくなことはないんだ」 「これでも協力しないって、言い張るつもり?」 私は、ヴィトンのバッグから100万円の札束をそっと覗かせた。 「ふんっ、そんなもの欲しかないねっ、今度は何だよ、殺しか? ふざけんなってんだ」 ぱちりっ、とバッグを閉め、厚めの化粧を施したエリカを睨み付けてやった。 「そんなことが言えて? あのこと、バラしちゃうわよ」 「へんっ、やれるもんならやってみろよ、あんただってパクられるんだよ」 形のいい脚を組み直し、エリカはせわしなく煙草に火を点けた。 「もういいだろ、そろそろガキどもを迎えに行かなくちゃなんねえんだ」 「・・・お子さん、かわいい?」 「あったりまえだろ、バッカじゃねえの・・・お、おい、ま、まさか」 「あんた次第よ、このお金を受け取って私の言うとおりにするか、それとも」 「や、やめてくれっ、ガキどもには関係ねえだろっ、あんまりじゃねえか」 「やってくれるのね、そう信じてたわ、じゃあ詳しいことはまた今度、話すから」 「くっ・・・あんたは、本物の悪魔だよ」
「おかえりなさい・・・今夜も遅かったのね」 「あ、ああ、仕方ないよ、ツアコンなんて仕事、これが宿命みたいなもんだからな」 スーツを脱ぎ捨てると、静まり返ったキッチンへ直行し、冷蔵庫からビールを取り出す。 「ふうっ・・・これがたまらないんだよな、疲れがいっぺんに吹き飛ぶ」 子どものいない20代夫婦の家庭というのは、どこでもこういうものだろうか。 寝る直前に軽い会話を交わして、朝は新聞に釘付けで会話は成り立たず、たまの休日といえば家でごろごろしているだけ、それさえも最近では、月に1度あればいいほうなのだ。 セックスにしても次第にその頻度は激減し、今じゃ年に数回あるかないか。 そりゃあそうでしょう、よそで他の女を抱いているんじゃ、したくもなくなるわよ。しかもその相手があろうことか、あの秋恵なのだ、こんな侮辱、私にはとても耐えられない。 結婚生活3年目にして、早くも私は、この男を心から憎悪していた。 「はい、これ」 ビール瓶を傾け、コップに注ぎながら、主人は私の差し出したものを見つめた。 「・・・なんだよ、それは」 「保険証書よ、サインしてちょうだい」 「な、なんだい藪から棒に」 「私、考えたのよ、あなたって年に10回は海外へ行っているでしょう?ほら、このあいだの飛行機事故、日本人も3人含まれてるって言ってたわ」 「おいおい、不吉なことを言わないでくれよ」 「そうかしら? もしあなたに万が一のことがあったとき、私はどうなると思って?女ひとり、経済力もなくって生きていけると思う?」 「ま、まあ、そりゃそうだけどさあ、何も急にそんな・・・」 「急じゃないわよ、ずっと考えてたんだから、あなたが知らなかっただけじゃない、いったいいつこんな相談ができて? あなたはいつも仕事ばっかりで・・・」 「わかったよ、だけどさ、今じゃなくってもいいだろう、俺もきちんと考えとくからさ」 「ダメよ、そんなこといって、あなた来週もアメリカに行くって言ってたじゃない、それに飛行機事故だけじゃないわ、日本人は今、犯罪者たちの恰好の標的なのよ」 「そんなことは知ってるよ、俺はさあ、何もダメだと言ってるわけじゃないんだ、保険に入るにしたって、いろいろと検討してみたい、それからでもいいだろ」 「そんなこと言っといて、今度のツアーで何かあったらどうするの?残されてしまう私のことを、もっと真剣に考えてちょうだい」 「まいったなあ・・・わかったわかった、ちょっと見せてみろよ」 主人が申込用紙をひょいとつまみあげ、しばらくじっと眺めていた。 「お、おい、何だよこの3億っていう金額は?」 「当然でしょう? この家のローンはまだ33年も残ってるのよ、それにお葬式の費用だって馬鹿にならないんだから、第一ね、あなたがすぐに死ぬんならともかく、介護が必要だなんてことになったら、私はできませんからね、そのための費用だって要るじゃない」 「・・・おまえ、そりゃちょっと考え過ぎじゃないのか?」 「とんでもない、私はこれまで主婦以外のことをしたことがないのよ、あなたに何かあったからって、いまさら私に仕事なんてできっこないわ、あなたは、この私が慣れない仕事で汗水垂らして、それでいいっていうの?」 「お、おいおい、ちょっと冷静になれよ」 「お金はいくらあっても多過ぎるってことはないはずよ、3億でも安いくらいだわ」 「そ・・・そんなもんかなあ」 「そうよ、あなたは男だからそんな呑気なことが言えるの、女がひとりで、経済力もなしでどうやって生きていけばいいか、それを考えると私・・・」 結局、主人は渋々ながら契約書にサインし、2日後に保険会社から派遣されてきた医師の診断を受けた。 掛け金は法外な値段だったが、なんとかやりくりすれば払えないことはない。 ふふっ、これで第一段階は完了、次は秋恵のやつね。 あいつの大切なものをすべて奪い尽くしてやる、そうでもしなきゃ気が済まないわ。
秋恵は、都内の小さな事務用品を扱う商社に勤めていた。 退社はいつもきっかり5時半、この不況のあおりで、残業もとんとないらしい。 私は、その薄汚れたビルの入り口が見渡せる場所に身を隠し、密かに秋恵が出てくるのを待ち続けた。 ほどなく秋恵が現れ、私は気づかれないよう、そっと彼女のあとを尾行した。 地下鉄に乗り込み、秋恵は赤坂見附で下車した。そのままオフィス街のほうへ歩いていくと、小さなバーの中へ入っていく。 私は時間をずらせ、用意していたサングラスをかけると、そのあとへ続いた。 秋恵はひとりでカウンターに腰掛け、カクテルを飲んでいた。 私はいちばん手前のボックスに座り、ウォッカのストレートをオーダーした。 しばらくすると彼女の携帯が鳴り、慌てて勘定を済ませたかと思うと、さっさと身支度を整えて、店を飛び出していった。 私もそれにならい、千円札を3枚カウンターに置いて、用心深くあとを尾けた。 やっぱり。 主人の通勤用ブルーバードが、道路沿いに停車していた。 秋恵はするりと助手席に身を滑り込ませ、主人に笑顔を向けた。 殺してやる、うんと苦しめてやるから、覚悟しておくがいい。
「あ、もしもし、葉山商事さんですか、恐れ入ります、中谷秋恵さんはいらっしゃいますでしょうか」 『あの、どちらさまでしょう?』 「私、マルイチ・クレジットの山田と申す者ですが」 明らかに、相手は好奇心を示していた。 『あいにく、中谷は先週から長期休暇を取っておりまして、もしよろしければご用件を伺っておきますが』 がちゃりと受話器を戻すと、不敵な笑みがこぼれてきた。 思った通り、秋恵のやつ、一緒にアメリカへ着いていったんだ。
小綺麗なマンションの前に立ち、表札を確認すると、私はエレベーターに乗り込んだ。 ドアの前に立ち、あたりをきょろきょろと物色してみる。 このへんにはなさそうね。 取って返して再びエレベーターに乗り込むと、ロビー横の郵便受けに向かった。 人がいないのを確認して、秋恵の部屋番号が書かれた郵便受けの前に立つ。 小さな南京錠がかかっている、私は鞄からこっそりバールを取り出し、南京錠のU字型金具にそれを差し込み、一気にねじ回した。 ものすごい音がしてちぎれ飛び、びくんっとしたが、幸い誰も来る様子はない。 郵便受けのフタをこじ開けると、案の定、フタの裏に鍵がテープで止めてあった。それをひっぺがし、素知らぬ顔でまたエレベーターに乗り込む。 鍵をドアに差し込み、ゆっくり回すと、かちゃり、という音がした。 さっぱりとしたワンルームに丸い絨毯が敷き詰められ、壁際にベッドが置いてあった。 それ以外はさして目立つ家具などは見あたらない、おそらく、壁面収納になっているのだろう。 鏡台の横に小さなデスクがある、私は、真っ直ぐそれに向かった。 引き出しを開け、片っ端からめぼしいものを物色していった。 洋菓子のブリキ缶を見つけ、それを引き出しから取り出す。中を見ると、手紙や写真などが、きれいに分類されて並べられていた。 その奥のほうから、あの高校時代につきあっていた彼からの手紙が、束になって出てきた。 ひとつずつ、私は時間を忘れて、それを読み耽っていた。 斜め読みを繰り返していたところ、ある手紙にぴたり、と目が止まった。 そこにはこう書かれていた。 秋恵、きみにこれを言うのはあまりに残酷だと思い、俺はずっと黙っていた。 だけどどうしても言わざるを得ない事情ができたので、言うことにする。 きみをあんな目に遭わせたのは、外ならぬ、あの飯山睦子なんだ。 きみがずっとあこがれ、慕っていた、あの睦子だったんだよ。 俺はもうすっかり落ちぶれて、とてもきみに会えるような身分じゃない、 知ってのとおり、俺は今、ある暴走族グループのリーダーをしている。 こういう世界はね、横のつながりが意外と強いものなんだ、 対立しているグループ同士なのに、実は密かに仲良しさんがいたりしてね。 そんな仲間のひとりから聞いたことなんだ、あれは睦子の仕業だったと。 それだけじゃない、どうやら今度は、この俺を密かに潰そうとしているらしい。 不思議なもので、俺がこの秘密を知ったことを、向こうもまた知っている。 半端じゃなく、俺は殺されてしまうかも知れない、そんな予感がするんだよ。 もちろん、俺だってそうは簡単にあいつらの思うようにはさせないつもりだが、 万一俺が殺されでもしたなら、今度は秋恵、きみのことが心配だ。 何も知らないおまえは、無防備そのものだからね。 とにかく気をつけろ、油断するな、あいつはおまえの思うような女じゃない、 俺があいつと別れたのも、あいつのそんな異常なまでの自尊心が原因だった。 今さらこんなことを言えた義理じゃないが、俺は今でも、秋恵を愛してる。 俺が身を引いたのは、きみがこんなヤクザな俺とつきあっていれば、 きっと不幸になると思ったからなんだ。 もし、今回の戦争で俺が勝ったら、もうこの世界からはきっぱりと足を洗う。 もちろんそうするにはかなりの覚悟が必要だけどね。 だが俺はもう決めたんだ、まっとうになって、きみの前に戻りたい。 待っていてくれ、俺はきみを必ずしあわせにする、約束するよ。 追伸 この手紙は絶対に残すな、万一この手紙を睦子に見られでもしたら、 きっときみは殺されるだろう。 約束してくれ、これを読んだらすぐに焼き捨てるんだ、お願いだから。 事実上のプロポーズが書かれていたのが、捨てられない原因だったのだろう、後生大事にこんなものをしまっておくなんて、秋恵も馬鹿なやつ。 そうか、知っていたんだね、ならもう遠慮しないよ、必ず殺してやる。 私の邪魔をするやつは絶対に許さない、秋恵、あんたが悪いんだからね。 |