ラスト・ボレー 3/5
| 「ありがとうございました」 サラリー・ローンの窓口から封筒を受け取ると、私は中味を確認もせずに、そこから飛び出した。 もうこれで500万になるだろうか、だがそれも、保険金が入ってくれば。 私が貧乏になるなんて耐えられるもんですか、もう殺るしかないのよ。 「おいおい、冗談だろ? オーストラリアへ行ってくれだなんて」 「はいっこれ、チケットとお小遣いの50万、お子さんは親にでも預けて、うんと楽しんでらっしゃいな」 ストローを銜え、エリカが怪訝そうに眉をしかめていた。 「あんたからタダでこんなことされるわけないよな、いったい何企んでんだよ」 輪切りのレモンをスプーンに乗せ、琥珀色の熱湯へそっと滑り込ませた。 「それにしてもエリカが英語ぺらぺらだなんて、意外だったよ」 「ふんっ、私は勉強はからっきしだけどさ、英語だけはいつも満点取ってたんだ、親がやたら熱心でね、幼稚園のときから英会話スクールへ通ってたおかげってやつだよ」 「なるほどね、道理であんたのこどもたち、日本人離れしたいい顔立ちしてると思ったわ」 「ち・・・ちょっと、あんたいつ、うちのガキどもと会ったんだよ」 「会ってないわ、ただちょっと、保育園まで見に行っただけ」 「・・・うちのガキどもに手を出したら、承知しないからね」 「あははっ、まさかそんなこと」 「・・・あんたならやりかねないよ、ほとほと恐ろしい女だよ、まったく」 「でさ、どこで知り合ったの? あの子たちのパパさんとは」 「ふんっ、どうでもいいじゃないか、そんなこと」 「いいじゃない、聞かせてよ」 「・・・渋谷だよ、そこの外人バーに入り浸ってたんだ、語学も鍛えられると思ってね」 「ふうん、でもなんで結婚しなかったの?」 「退役したからだよ、さっさと帰っちまいやがったんだ、国で待ってるかあちゃんの元へ」 「ほほっ、国際不倫ってわけね、あんたらしいわ」 「余計なお世話だよ、私はもう結婚なんてしないつもりさ、あの子たちがいれば、あの子たちが育っていくのを見てるだけで、十分にしあわせなんだ」 肉感的なエリカを見ていると、毛むくじゃらの白人オヤジに抱かれている姿が目に浮かんできて、なんともおぞましい嫌悪感が襲ってきた。 「・・・それにしてもエリカ、ちょっと太ったんじゃなくって?」 「言いにくいことをはっきり言うねえ、別に誰にも迷惑かけちゃいねえだろ」 「まあいいじゃない、私とあんたの仲なんだし」 「けっ、笑わせるんじゃないよ、しかしまあ、あんたはぜんぜん変わんないねえ」 「そうかしら? 私って、いくら食べても太らないみたいなんだ」 もちろんこれは嘘だ、毎週3回、エアロビクスに通っている。食事制限もしているし、それなりの大金はたいて体型を維持しているのだ。 だが私は、そういうところを他人に知られるのがたまらなくイヤだった、いつも羨望の眼差しを浴びていたい、そんな思いが、私にこんな嘘をつかせていた。 「で、いったい何を企んでるんだ?」 「それはここじゃちょっと、ね」 「私ゃイヤだよ、手がうしろに回るようなことだけはしたくないからね、ガキどものためにも、そんなことはお断りだ」 「あらそう、1千万、要らないっていうの?」 エリカは目を丸くした。 「・・・なんだって? い、1千万?」 「しっ、声が大きいよ」 頬が上気している、さすがに1千万の効果は小さくなかったらしい。 「どっちにしろ、あんたは断れないよ、こどもたちがかわいいんでしょ?」 「・・・それを二度と口にするな、今度言ったら、その場で絞め殺してやる」 「わかったわよ、何怒ってんの、まったく」
式場にはずらりと喪服姿の弔問客が並び、私はハンカチを手に、ひとりひとりにお辞儀を繰り返していた。 「このたびはまったく、大変なご災難で・・・」 「いえ、私、まだ信じられませんの、今にもひょっこり主人が帰ってきそうな気がして」 「お察しします、我が社としても、できる限りの誠意は尽くしたいと存じますので」 おととい、私は検死を終えて帰国してきたばかりだった。無惨にも頭部を至近距離から撃たれ、即死だったという。 「睦子さん、あんたも気を確かにね、つらいだろうけど」 「お、おかあさん・・・」 ふふっ、私もよくいうよ、まったく疲れるったらありゃしない、明日の本葬までの辛抱、辛抱。 そこへカメラを構えた一団が押しかけてきて、いきなりマイクを突きつけてきた。 「あの、このたびはとんだご災難でした、お気持ち、お察しします」 「はい・・・早く犯人が捕まってくれることを、心から祈っています」 「ところで・・・ご主人には、多額の保険金が掛けられていたとか」 「・・・は?」 「大変失礼とは存じますが、真実を追究するのがマスコミの使命ですから」 「・・・いったい、どういうことかしら?」 「あんたたち、失礼じゃないかっ、さあ帰ってくれっ、帰れっ」 義父が間に割って入り、カメラ軍団を追い払ってくれた。 悲劇のヒロインを演じ、私は茫然自失したかのように、その場にへたり込んで見せた。 「だ、大丈夫ですかっ、おいっ、誰か」 担架が運ばれてきて、私はその上に乗せられ、葬儀場の控え室に運ばれた。 ちっ、余計な詮索をしやがって、少し気をつけていないとね。 翌日、遺体は火葬場に運ばれ、ようやく葬儀は終了した。 その後、親類との応対に追われたものの、夕方になり、自宅へ戻るとようやくひとりになれた。 笑いがこみ上げてくる、私は、遠慮なく声をあげて笑った。 ブランデーを取り出すと、グラスに注いで、ひとり祝杯をあげた。 香典袋から取り出した札束を10枚ずつ束ねてテーブルに並べ終えると、弔問客名簿を膝に置き、ブランデーを片手にぱらぱらとめくっていった。 ふと、手が止まった。 中谷秋恵・・・来ていたのか、あいつが。
二週間ほどして、私は秋恵のマンションへ出かけた。 おかしい・・・表札の名前が別の名前になっている。 「あの、405号室の中谷さんの知り合いなんですが、引っ越されたんでしょうか」 管理人室の小窓から、みすぼらしい老人がこっちを覗き込んでいた。 「ああ、中谷さんなら先週ここを引き払ったんですよ、なんでも実家に戻るとかで」 「・・・そう、ですか」 「いえね、先月の初めに泥棒が入ったとかで、そりゃもう怖がってましてね、そういうこともあったんでしょうな」 「泥棒、ですか」 「ああ、でも何も取られた形跡がなかったらしく、それがかえって不気味でね」 「今はやりのストーカーってやつかも知れませんね」 「そうそう、わしもそれを心配して、気をつけるように言うてやったんじゃ」 まずいことになった、実家へ戻ったとなると、復讐が難しくなる。 秋恵の母親はヤクザの親分の元へ嫁いでいったと聞いている、そうなると簡単には行かないだろう。 仕方ない、計画を練り直すしかないわね。 タクシーで家に戻ってみると、驚いたことにTV局の車がずらりと並んでいた。 ある者は脚立を立て、その上にまたがってカメラを邸内に向けている。 「運転手さん、悪いけどこのまま通り過ぎてちょうだい」 くそっ、まったく、しつっこいやつらね。 まあいいわ、人の噂もなんとやら、しばらくホテル暮らしでもしてやるか。お金はふんだんにあるんだ、ほとぼりが冷めた頃に帰ればいい。 この際だから旅行でもしてみよう、主人ばかりいろんなところへ行って、私はろくに旅行すら連れていってもらえなかったんだ、当然の権利ってもんよ。 通帳と印鑑はバッグに入れてあるし、着の身着のままでも困ることはない。なにしろ3億よ、いくらでもぜいたくができるってもんだわ、それに主人の会社から莫大な慰謝料をもらったことだし、怖いくらい。 「運転手さん、このまま帝都ホテルまで、お願い」 秋恵への復讐はまたゆっくり考えるとしよう、とにかく勝利の美酒に酔ってやるか。 待ってなさい秋恵、どこに逃げようと絶対にあんただけは許さない。 この私の前にひれ伏させ、たっぷり命乞いをさせてやる、主人を寝取った女狐として、私に頭が上がらないはずだからね。 あの探偵事務所から貰った証拠資料さえあれば、私は常に優位に立てる。 なにしろむこうには何ひとつ証拠がないのだ、この差は小さくないはずよ。 私はのんびり温泉巡りでもしながら、あんたの処刑方法を考えるのよ。 なんという優越感、私は勝ったんだ、ざまあ見ろだわ。
洞窟の中のような内装を施された居酒屋に入っていくと、奥のパーティ・ルームへ続く通路があり、私はそこへ店員に案内されていった。 「こちらです、もうみなさん、いらっしゃっていますよ」 「ありがとう、どうもご苦労様」 靴を脱ぎ、かまちに足を乗せると、引き戸を半分だけ開き、そっと覗き込んだ。 女性ばかり6人のパーティが、賑やかに催されているところだった。 「あら? どなた?」 その声に呼応するように、他の5人も談笑を中断し、私のほうに振り向いた。 「あっ・・・む、睦子、さん」 「盛り上がっているところをごめんあそばせ、さっきちらりと中谷さんを見かけて、もしやと思いここの店員さんにお訊きしたところ、葉山商事さんって伺ったので、それなら見間違いじゃないと思い、不躾ながらご挨拶に伺ったんですの」 「・・・あ、秋恵、この人、あなたのお知り合い?」 「え・・・ええ」 「あら、ごめんなさい、邪魔しようと思ったわけじゃなくてよ、ご挨拶だけ済んだらすぐに退散いたしますので、どうか気になさらないで」 「・・・あっ、私、この人知ってる、学生テニス界のホープ、飯山睦子よっ」 「え? 誰、その飯山・・・って?」 「私、ずっとテニス部にいてたからよく知ってるんだ、この人すごかったんだよ」 「ホントなの? ねえ秋恵」 私は決して出しゃばらないよう心配りをしつつ、秋恵の隣席を確保していた。 ここで秋恵の退職パーティが開かれることは、とっくに調べてあった。偶然を装い、秋恵に近づくことが目的だったが、思わぬ展開になってしまった。 けどまあいいか、このほうが事が運びやすくなったというもの。 「あなた、すごいお友達を持ってたんじゃない、どうして黙ってたのよ」 「ううん、私なんかたいしたことありませんわ、私が活躍できたのは高2くらいまで、そのあとは泣かず飛ばずだったんですから」 「ステキッ、いくらでも自慢できることがあるでしょうに、なんてつつましやかな方」 「あの、みなさまの熱烈な歓迎はとてもありがたいんですけど、今日は秋恵さんの送別会なんですから、私の話題はこのくらいで」 「まあ、聞いた秋恵、なんてやさしいお言葉、あんたはしあわせ者だね」 秋恵は作り笑いを浮かべ、同僚たちに不信感を抱かせないよう努めていた。 もともと無口な性格だけに、誰ひとりとしてその異変に気づく者はないらしい。 「それじゃ・・・そろそろ私はこのへんで」 「え? もう帰っちゃうんですか? まだよろしいじゃありませんか」 「そうですよ、秋恵も喜んでいることですし、もう少しご一緒にいかがですか」 「ありがとう、でも、部外者の私などが出過ぎるのも何ですから」 ナプキンで軽く口をぬぐい、私は呼び止める声に愛想よく応えつつ、遠慮がちに立ち上がった。 「あ、そうそう、私にも秋恵さんにお餞別をしたいんだけど、あいにく何の用意もしていなくって、もしよろしければ、またあとでお邪魔させていただいても構わないかしら?」 そう言い残し、私は居酒屋を後にした。 すぐに近所の洋服屋へ飛び込み、適当に財布を選ぶと、きれいに包装してもらい、リボンをかけてもらった。 勘定を済ませ、ついでにもう一枚、やや大きめの紙袋をもらった。 例のファイルから2,3枚選んで抜き取ると、その中へ入れ、袋の口を折り曲げた。
「ごめんなさい、またお邪魔しちゃって」 「あら、どうもすいませんねえ、ほら秋恵、ちゃんとお礼言わないと」 私は秋恵にプレゼントを手渡し、もうひとつの紙袋をそっと手に持たせた。 「この中にはね、私の気持ちを込めたものが入ってるの、あとでそっと見てね」
ガードレールに軽くもたれかかり、秋恵たちが出てくるのを待っていると、10時を過ぎた頃にようやく、同僚たちに取り囲まれた秋恵が姿を見せた。 私はつかつかと歩み寄り、二手に分かれていく彼女達の中へ割って入った。 「あら、今日はやけに偶然が重なるものね、また会っちゃった」 秋恵はうつむいたまま、同僚たちのほうをちらりちらりと見ていたが、やがて覚悟を決めたらしく、彼女達に詫びながら別れを告げた。 ふふっ、それでいいのよ、ここまできて逃げられてたまるもんですか。 「さ、あなたには、これからつきあってもらうよ」 |