予告12月議会資料:調査報告チェルノブイリ被害全貌 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. . 9. 10. チェルノブイリ

 

 

 

(2013年9月議会参考資料一部より)

米軍は

なぜイラクから

戦後八年で

完全撤退した

のですか?
 

その理由は簡単です。
  イラクが

2008年11月に

アメリカとのあいだで結んだ、

いわゆる

「イラク・アメリカ地位協定」

のなかに、

三年後の

2011年末までに

米軍が完全撤退すると

定められていたからです。

もちろん、

撤退直前になると

アメリカ側から

激しい
圧力が

加えられましたが、

イラクの交渉担当者は

そうした圧力に

屈せず踏んばったのです。
 

この「イラク・アメリカ地位協定」が

結ばれる過程と、

その条文どおりに

実現された

三年後の

米軍完全撤退を見ると、

私たち日本人が

常識としている世界観や

国際政治の枠組みが、

いかに歪んだものであるか

がわかります。

米軍はなぜイラクから戦後八年で完全撤退したのですか?

?

「イラクから米軍が完全撤退」というニュースがテレビで流れたのは、二〇一〇年八月のこと
でした。

 

正確にいうと、

このとき撤退したのは

戦闘部隊だけで、

残る五万人の駐留部隊は

2011年の年末に

撤退したのですが、

多くの日本人が

このニュースを

驚きの目で

見まもることに
なりました。


  というのも、

その二ヵ月ほど前、

沖縄にある米軍基地を

たったひとつ、

それも閉鎖ではなく、
ただ県外に移転させようとした

だけの鳩山首相が

辞任に

追いこまれていたからです

「どうしてなんだろう」
  そう、

多くの人が思ったにちがいありません。
 

鳩山首相ひきいる

民主党は、

その前年に行なわれた

二〇〇九年八月の総選挙で

圧勝し、

戦後
初の「本格的政権交代」を

なしとげていました。

議席数は

衆議院で

三〇〇を超え、

国民の

支持率も

高かった。

 

それが、

「だれが見ても

非常に危険な

外国軍基地」

をひとつ動かそうと

しただけで、

官僚やマスコミから

バッシングを受け、

わずか九ヵ月で

首相の座を

追われてしまった

のです。


  一方、

みなさんよくご存じのように、

イラクは

二〇〇三年のアメリカとの戦争で

無残に敗北した

国です。

 

同年三月に始まった戦争は、

戦闘らしい戦闘もないまま、

五月にほぼ終結し、

米軍を中心とした

軍事占領が

開始されました。
 

あんなに無残に敗れたイラクが、

なぜそれから七年で

米軍を撤退させられたのか。

 

それに比べて

日本はなぜ、

敗戦から

七〇年近くたつのに

米軍基地ひとつ

移転できないのか。
 

そう思った人は、

少なくなかった

にちがいありません。
イラクは

なぜ、

米軍を

完全撤退させる

ことができたのか
 

イラクとアメリカのあいだで

行なわれた交渉の

くわしい過程が

あきらかになるには、

まだ

かなり時間が

かかりそうですので、

 

ここでは

主に

「イラク・アメリカ地位協定」

の内容を中心に
見ていくことにしましょう。
 

 

朝日新聞の報道によれば、

二〇〇七年末にはじまった

イラクとアメリカの交渉は、

2008年10月に、

おそらくアメリカ側が出したと

思われる協定案を

タタキ台にはじめられました。

 

しかし

イラク側が頑張ったのは、

そのアメリカ側の協定案に

対してなんと

110ヵ所

もの修正を

求めたことでした。

その主な部分は、

次の五項目だった

といいます。

??
?
@協定に米軍撤退を明記する
A2011年を過ぎても
米軍がイラクに駐留しつづけられると読めるようなあいまいな表
現は削除する

B米兵の免責特権をめぐり
イラク側の権限を強化する
C米軍が
イラク国内から周辺国へ越境して攻撃することを禁止する条項を追加する
Dアメリカの
艦船などの搭載物の捜査権をイラクにあたえる
?


ちょっと驚きますよね。

 

おそらく日本の政治家たちは、

右の五つの項目のうち、

ひとつでも
アメリカに要求しようものなら、

自分の命が危ないと

本気で思っている

のではないでしょうか
 

順番に見ていきましょう。
  まず@の

「協定に米軍撤退を明記する」と、

Aの「あいまいな表現の削除」です。これは具
体的には、次のような条文になりました。

?


「第二四条(米軍のイラクからの撤退)
  1 すべての米軍はイラクの領土から2011年12月31日までに撤退する。
  2 すべての米軍戦闘部隊は、イラクの安全保障軍がイラクの安全にじゅうぶんな責任を負
えるようになるときまでに、イラクの都市部、村落部、地方から撤退するものとする。ただし
そのような撤退は二〇〇九年六月三〇日までに完了する」
  つまり、

米軍はまず2009年6月末日までに

戦闘部隊が都市部から、

次いで2011年末までに

すべての軍が

イラクから完全撤退しなければならない、

と言っているのです。
 

われわれ日本人にとっては、

夢のまた夢のような条文です。

 

ほとんど

戦闘らしい戦闘も

できず、

一方的に負けたイラク。

 

そもそもGDPは

日本の五〇分の一しかなく、

隣にイランという
巨大な敵国を

もつイラク。

 

そうした国が

なぜこれほど

鮮やかに、

米軍の撤退条項を

地位協定に
書きこむことが

できたのか。
 

これも答えは

簡単です。

もともと

この協定そのものが、

米軍の撤退を

前提としたもの

だったから
 

というのが

その答えです。
 

 

もう少し説明すると、

イラク戦争後、

米軍が

イラクに

駐留する根拠となっていたのは

国連決議

(安保理決議1483)でした。

あくまでこの決議にもとづいて

「特別の権限」を

あたえられた

という形をとって、

イラクに駐留していたのです。
 

 

現代では、

昔のように

戦争に勝つたからといって、

勝った国が

負けた国を侵略して

領土を拡げることはできません。

 

戦争に勝ったあと、

相手国に

占領軍として入っていく場合も、

国連安保理決議によって

なんらかの権限を

承認されたという形で、

あくまでも

秩序が回復したあとは
撤退することを前提にして

入っていくというのが

国際社会の

ルールなのです。
 

 

イラクの場合、

日本占領時の

GHQ(連合国総司令部)によく似た、

CPA(連合国暫定占領当局)

という米軍中心の組織が

作られました

(本部はサダムーフセイン時代の

大統領宮殿におかれました)。

 

もともと

ブッシュ大統領が、

イラク占領を

過去の日本占領と

重ねあわせて考えていたことは

有名です

ので、

似ていても

不思議はありません。
 

そのCPAが

権限をもつのは、
  「国際的に

承認された代表政府が

イラク国民により

樹立され、

責務が引きつがれるまで」
  の期間に

かぎると

されていました。

 

 

つまり正統な

イラク政府が

誕生したら、

米軍は撤退する
ということです。

 

これはポツダム宣言にあった、
「日本国民の自由な意志によって

責任ある政府が誕生したら

占領軍は撤退する」
  という条項と

趣旨は同じです。
 

ですから

こうした同じ「占領モデル」のなかで、イラク人がどのように考え、行動し、米軍
を撤退させたかを、私たちは知る必要があるのです。
  すでにのべたとおり、2008年11月に合意された「イラク・アメリカ地位協定」は、当
初から「米軍の撤退」を前提としていました。というのもその年の年末に、国連決議(CPA
に暫定統治の権限をあたえている国連安保理決議1790号:2007年12月18日)の期
限が切れることになっていたからです。
 

一方、国連決議の期限が切れたあとも、

アメリカはイラクに米軍をおきたかった。

それは

かつて米国の政治学者である

チャルマーズ・ジョンソン氏が

鋭く見抜いたように、

第二次大戦後
のアメリカは、

領土拡大のかわりに

各国に基地をおき、

そのことで世界を

支配しようとする
「基地帝国」

だからです。
 

そのアメリカとイラクが

結んだのが

「イラク・アメリカ地位協定」

ですが、

この協定の

正式名称は、
 
米軍のイラク撤退

および

米軍が

イラクに暫定駐留

するあいだにおける

同軍の活動の

組織化に関する

米国とイラク共和国

とのあいだの協定
 

となっていました。

長い名称ですが、太字の部分に注目してください。

「米軍のイラク撤退」

「米軍がイラクに暫定駐留するあいだにおける同軍の活動」。

これからわかるとおり、

駐留米軍の権利

を定めた

という点では

日米地位協定と

同じですが、

前提となっているのは

「占領の終結

と同時に

外国軍は

撤退する」

 

という

大原則

なのです。
 

よく日本人は、

沖縄に米軍がいるのも、

首都圏に米軍がいるのも、

「戦争に負けたから

しかたがない」

などといいますが、

そんなことは

まったくないのです。

 

毅然として、

国際社会の

ルールにのっとって

交渉すれば、

イラクのような、

戦争で惨敗し、

GDPは

日本の五〇分の一

で、
隣にイランという

巨大な敵国をもつ国でも、

米軍を撤退させることは

可能なのです。

* 冒頭で見たように、実際には米軍の戦闘部隊はたんとか期限後も居座ろうと、2010年8月まで、

なし崩し的に

駐留しつづけました。

 

米兵がイラクで犯した罪はイラクが裁く
 

日本占領のケースを

見てもわかるとおり、

占領の継続とは

つまり

戦争で手に入れた

特権の維持

ということです。

 

だから可能ならば、

なんとかして

駐留を

つづけようとする。

 

イラクの場合も、

アメリカは

最初の交渉では

撤退時期を

示そうとしませんでした。

また

2011年末までの撤退が

決まった

あとも、

なんとか2012年以降も

一万人の米軍の駐留を

認めさせようと、
新任のパネッタ国防長官が

猛烈な圧力を

かけつづけました。
 

ニューヨークタイムズによれば、

パネッタ長官は、
  「事態を早く動かすことを希望する。

われわれに居ろというのか、

出て行けか。

こんちくしょう!(Damm it!)

ちゃんと決断しろ」

(「ニューヨークタイムズ」

2011年7月11日)
  とまで言ったといいます。

 

ところがイラク側は、

米軍が

駐留の絶対条件としている

米兵への
裁判権に

関して妥協せず、

ついに

パネッタ長官も

撤退を

決意したのでした。
 

 

そのような過程で

アメリカが

とくに重視したのが、

Bの問題です。

 

つまり、

イラクで米兵、軍属、

そして米軍と一体になって

治安維持などにあたる

民間軍事会社

(現在では、アメリカの
戦争の相当部分が

民間軍事会社によって

担われており、

それらの会社から

派遣される社員たちは

事実上の米兵

以外の何者でもありません)

の社員を、

イラクの裁判権に

かからないようにする

免責特権

の問題でした。
 

 

ところが

イラクは

「イラクの土地で

米兵などが犯した犯罪は

イラク人が裁くべきだ」

という
立場を主張しました。

 

この強い主張の背景には、

2007年9月に

バグダッド市内で

アメリカの民間軍事会社

ブラックウォーター社の社員が

銃を乱射し、

多数の市民を殺傷する

という事件が

ありました。

裁判権を

めぐる交渉の結果、

米兵と軍属に対する

イラクの裁判権(第一次)は

「公務外」に
おかされた犯罪に

限るとされ、

「公務中」か否かの認定も

米軍当局が

行なうことになりました。


この点は日米地位協定と

同じになりましたが、

ブラックウォーター社のような

民間の契約業者
に対する

裁判権については

次のように定められました。
  「第12条 2項
  イラクは、

アメリカの契約業者

およびその社員に対して

裁判権を行使する

一次の権利

有する」
 

つまり、

公務中であろうと

公務外であろうと、

アメリカ側の

民間契約会社(員)に対する

裁判権は

つねに

イラクにあるということです。

 

このように

イラク政府は

みずからの

主張を譲らず、

アメリカ政府にとっては

大きな痛手となりました。

 

そのことが

イラクから軍を撤退させる

大きな要因になった

とする説もあるほどです。

?
?
?

原則をつらぬくイラク
  Cの

イラク周辺国への米軍の越境攻撃禁止条項を追加する

ですが、

これも

注目すべき条項

です。
 

 

「第二七条 3項
 
イラクの領土、領海、および領空は、他国への攻撃のための出撃地点や通過地点として利
用してはならない

 

なぜ注目すべきかというと、

日本人の多くは

憲法九条を誇りにしていながら、

実は

この条項にあるような

米軍への規制

(他国への攻撃拠点として

自国内の米軍基地を利用することを

拒否する)

は、

過去に一度も行なってこなかった

からです。
 

 

上のイラクの条項を

なぞっていえば、

平和憲法をもつ

日本の実態は、
  「
日本の領土、領海、および領空は、米軍が他国を攻撃するための

出撃地点や通過地点として
つねに利用されてきた

?ということになります。
 

 

事実、

日本にある米軍基地は、

朝鮮戦争にはじまり、

ベトナム戦争、

アフガン戦争、

イラク戦争と、

つねに

米軍の

出撃基地と

なってきました。

 

最近の研究や資料公開などから

あきらかに
なっていることですが、

1960年代には

最大1200発もの核兵器が

沖縄に配備されており、
いつでも

それらが

本土の米軍基地に運ばれ、

そこから

中国やソ連を

攻撃できるように

なっていたのです。
 

 

「イラク・アメリカ地位協定」

には、

核兵器の持ちこみ(貯蔵)を

禁じた

次のような条項

もあります。
 

?

「第七条
  〔米軍に許された〕

装備の使用および貯蔵は、

直接的にも間接的にも

大量破壊兵器

(化学兵器、
核兵器、

放射能兵器、

生物兵器と

それらの廃棄物)

と関連しない。

 

アメリカは(略)

貯蔵品の
種類と数量について

肝心な情報を

イラク政府に提供する」


0&AHで、

アメリカは

自国の艦船の

核兵器搭載については、

「肯定も否定もしない(Neither
to Confirm Nor Deny=NCND政策)」という原則をかかげていると書きました。

ですから

日本では、

アメリカ艦船の核兵器搭載について

問題にすると、

「お前はNCND政策も

知らないのか。

このど素人が」

と言われる。

 

でも

ニュージーランドは

国の方針として、

核兵器を

積んでないことを

証明できないなら

寄港を許可しないと

決めた。

 


  イラクもこの条文で、

堂々と同じようなことを

主張しているわけです。
 

最近の研究や

資料公開によって、

日本の国家的方針である

非核三原則

(核兵器を、

持たず、
つくらず、

持ちこませず)

のうち、

「持ちこませず」は

完全な虚構

(タテマエと実態が

かい離していた)

だったという

事実が

あきらかになっています。
 

このような話をしてくると、

みなさんのなかには

「近隣に脅威がある

にもかかわらず、

米軍の行動の

自由や核戦略を

束縛するようなことを

言うのは得策ではないのでは」

と考える人が

いるかもしれません。

 

たしかにそういう考えもありますが、

ここで私たちが注目すべきは、

アメリカとの交渉において

イラクが

いかに

みずからの主義・原則を

貫いたかという

教訓にあると

私(明田川融:あけたがわとおる)は

思います。
最後にDの、

アメリカ艦船の搭載物に対する

捜査権ですが、

それも次のように定められました。

 

「第一五条(輸出入)
  (略) 安全保障に関する

入手可能な情報にもとづき、

イラク当局は、

米軍に対して、

持ちこまれつつある物品を

入れたいかなるコンテナーも、

その内容を

確認する目的で、

同軍の立会いのもと、

開けることを

要請する

権利を有する」
 

 

主権国として、

たとえ

相手が米軍といえども、

物品の持ちこみは

きちんとチェックするぞ

という趣旨の

条項です。
 

 

この問題に関連して、

もうひとつ紹介しておきましょう。
 

「第一四条(出入国) 2項
 

イラク当局は、

米軍基地から直接的に

イラクに入国し、

またはイラクから出国する

米軍人と
軍属の名簿を

点検し、確認する

権利をもつ」
 

36ページの条文を見てください。

日本は

米軍基地から

自国内に出入りする

アメリカ人の

チェックを

最初から

放棄しています。

そのため

CIAだろうが

だれだろうが、

日本に

入国し放題で、
国内に

アメリカ人が

何人いるのかさえ、

政府は

まったくわかっていないのです。

 

いかに

現在の
日本が

国際的にみて

異常な状態に

あるかわかります。

 

つまり、

ひとことで言えば、
「現在の

日本は、

米軍に

占領されていた時代の

イラクよりも

ひどい状況にある」
 

ということです。

 

そしてその後、

2011年末に

占領を終結させ、

米軍を

すべて

撤退させた
イラクと

日本との差は、

さらに

決定的に

広がってしまったのです。
 

興味深い話があります。

 

このイラクの

米軍地位協定をつくった

イラク外務省の

関係者たち
(ハンムード外務次官ほか)は、

協定を結ぶ五ヵ月前、

 

2008年5月に

五日間の日程で

日本を訪れ、

日米地位協定について

熱心に

研究していったと

いうのです。
 

おそらく

日本を

反面教師としての

研究だったのでしょうが、

彼らは

研究の成果を

その後の

アメリカとの

交渉に

見事に役立てた

のだと思います。


日本政府が

イラクヘ行って、

地位協定と

外国軍の撤退についての

勉強を

してきたら

どうでしょうか。

 

執筆:明田川融(あけたがわとおる)、前泊博盛(まえどまりひろもり)[編著]:本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」よりイラク・アメリカ地位協定からより