時価会計急増した外国人株主


  一九九〇年代後半から

二〇〇〇年代前半にかけては、

企業が保有していた大量の株式が
市場に放出されるとともに、

従来のメインバンク制のもとでの

株式持ち合いシステムは

崩れていった

そのピークを迎えたのが、

当時日経平均株価のバブル後最安値とされた

七六〇三円七六銭をつけた

2003年4月

といえよう。

そして叩き売られた株式

これまでの
保有者に代わって保有するようになったのが、

外国人投資家であった。

一九九〇年以降、

金融機関、


事業法人といった国内の投資家が保有比率を
落とす一方で、外国人投資家の保有比率が増
え始め、系列企業同士の持ち合いが解消され
株式が大量に売られた二〇〇三年の時点では、
日本の事業法人と外国人投資家の保有率が二
I・八%で並ぶことになる。
  そして二〇一一年になると外国人投資家の
比率は二六・三%となり、日本の金融機関の
二九・四%に並ぶほどに拡大した。つまり、
一九九〇年代後半以降、日本企業の株式持ち
合いと
バトンタッチする形で日本の株を購入したのが外国人投資家だったということがわ
かる。
▼時価会計がきつかけとなった賃金カット
  外国人株主が増えたことによって、株主による経営監視を旨とするアメリカ流のコーポ
レートーガバナンスがより重視されるようになった。いわゆる「モノ言う株主」の増加を
背景に、「株主寄り」に企業経営が変化したのである。
  そして「企業の一番の目的は利益の最大化であり、企業は株主のためにあるもの」とい
う意識のもとで、海外投資家は、企業の中長期的な成長や従業員の福祉よりも、短期的な
配当の最大化
を企業に対して要求していくことになる。
  その際、時価会計制度は、いわば企業の成績表となる。成績アップを実現するためには、
企業は各期ごとに収益を上げ、配当をださねばならない。したがって、短期的に利益をも
たらさない設備や雇用はコストカットの対象
になってしまうのだ。
  時価会計制度の導入は、こうした雇用や賃金のカットを加速させたといえるだろうし、経営に対する監視を強め、高い配当への要求を強めることにもなっただろう。それはなに
も外国人投資家だけにかぎらず、そうしたグローバルスタンダードの株主優位性をよし
として、日本人投資家もまたそれを尊重したことから、従業員の取り分である労働分配率
(会社の付加価値に占める人件費の割合)
の低下をもたらした可能性が高い。
▼金融ビッグバンに見られるアメリカの影
  日本企業のそれまでの慣習の負の部分がバブル崩壊によって灸りだされた、という時代
背景を考えれば、金融ビッグバンも時価会計導入もやむなし、その結果のコストカットも
やむなしと思われるかもしれない。だが、消費税と同じように、ルールには表の顔と裏の
顔がある

  時価会計の表の顔が、時代遅れの国内金融システムを改革することだとすれば、裏の顔
はアメリカ流株主資本主義のエンジン受け入れ
といったところだろう。
  大恐慌以前のアメリカでは商業銀行も証券を扱うことができたため、一九二九年に発生
した株価大暴落、いわゆる「ブラックーサーズデー」の際には銀行も多大な損害を被った。
閉鎖された銀行は一万行近くにおよび、金融システムが完全に麻疹することとなった。そ
こで、リスクの高い証券を経済活動の根幹を担う商業銀行が扱うべきではないという教訓
から、一九三三年に銀行業務と証券業務とを分離させるグラスースティーガル法が制定さ
れた。
  余談ではあるが、私自身が新卒で入行した外資系の商業銀行は中堅クラスといったとこ
ろだったが、東京支店は小規模ながらも、系列会社の証券会社が同じビルの同じフロアに
大っていた。たとえ小規模の金融機関であっても、このグラスースティー・ガル法によって、
銀行と証券会社の問にはしっかりと壁が設置されており、行き来ができないようになって
いた。
  最終的には、一九九九年に制定された金融制度改革法投資銀行と商業銀行と保険とい
った業務の垣根は完全に取り払われてしまうのだが、そもそもこうした緩和の動きが鮮明
となってきたのは一九八〇年代になってからであった。その結果、金融セクターが拡大、
金融商品取引が多様化し、M&A業務が活発化していった。とくにM&Aでは、企業を切
り売りするために、企業の現在の価値を端的に示すような指標がどうしても必要となる。
107   時価会計導入で消えた賃金
その点、時価会計はまさに「うってつけ」というわけだ
  アメリカでは一九八〇年代後半から時価会計導入の議論が活発になり、一九九三年には
時価会計の適用にシフトした。それとともに、投資家は企業経営に対する影響力を強めて
いった。
  時を同じくして、日本に対してアメリカは、日米円・ドル委員会や日米構造問題協議、
日米包括経済協議を通じて、日本の金融セクターの自由化や市場開放を強く要求し続けた

そんななかで一九九五年には、日米包括経済協議において「金融サービスに関する日米両
国政府による諸措置」が合意
に至る。
  高田太久吉中央大学教授の論文「日米包括経済協議と金融ビッグバン」によれば、「金
融ビッグバンの実質的な内容は、(中略)その多くが日米包括経済協議の金融サービス合
意においてアメリカ側からの要求として取り上げられたものである」とされている。
  実際、二〇〇二年の対日年次改革要望書でも、一九九五年以降の日本の対応について、
次のように書かれている。
「米国政府は、日本が一九九五年の『金融サービスに関する日米両国政府による諸措置』
の着実な実施や、日本版ビッグバン構想の下で今日までに講じてきた措置などを通じ、金
融システムを国内外からの競争に開放する上で進展が見られてきたことを歓迎する。金融
部門がより効率的で競争力を持つことになれば、日本が潜在成長力を完全に取り戻すに当
たり、極めて重要な役割を果たすことになる」
  すなわち、日本がアメリカとの約束を果たす形で、金融ビッグバンを実施していること
を裏づけるものだろう。
▼株主資本主義
  金融ビッグバン実施の背景に、このような日米関係の文脈があるとすれば、ビッグバン
に対する評価も大きく異なってくるはずだ。
  前章で述べたように、一九八〇年代のアメリカは日本の輸出攻勢に手を焼き、「双子の
赤字」を抱えていた。そこで、とりわけ一九九〇年代以降、輸出大国から金融帝国へと舵
を切っていくわけだが、さしずめ日本版金融ビッグバンはアメリカの金融帝国化の地なら
といえるのではないだろうか。
  第五章で詳述するが、先に見た金融サービス合意の一九九五年とは、折しもアメリカが
「強いドル」政策へと反転し、世界のマネーを自国に吸い寄せるシステムをスタートさせ
た年でもある。
  いわば、アメリカ流の金融資本主義に呑みこまれる形で、日本は金融ビッグバンを実施
し、時価会計導入をはじめとした会計制度の変更もおこなった
ことになる。そしてグロー
バル競争に晒された企業
は、「企業は株主のもの」「経営者の義務は、株主への還元の最大
」、そして回雇用は人的資源ではなくコストである」というアメリカ型の思想を受け入
れた結果、低成長のなかで短期的な利益を重視する経営が求められることになった。
  さらに、二〇〇〇年代に入ると、小泉政権のもとで金融資本主義は本格化していくこと
になる。たとえば、グループ内企業の黒字と赤字を相殺することができるようになり、大
企業にとっては大幅な減税効果を生むこととなった連結納税制度の導入二〇〇三年であ
ったし、株式配当・譲渡益などの減税が実施されたのも同じ年であった。非正規労働を積
極的に導入したのもまたこの時期
である。
  業績優位で雇用コストは最小限に抑える。そうして得た利益は株主に配当する。そうし
た意向が最大限に意識されたのが二〇〇〇年代であったといえよう。
▼時価会計を「国内基準」にしてしまった日本
  それにしても、金融危機の真っ只中である一九九〇年代後半、金融資産の評価益が激減
するような時期に、それに追い打ちをかけるような国際会計の基準を積極的に日本が導入
したことについて、そしてグローバルースタンダードを後生大事に掲げるだけで国内事
情に即した形への見直しをしなかったことについてなど、釈然としない点は多い。
 著書『増税が日本を破壊する』(ダイヤモンド社、二〇〇五年)のなかで、菊池英博氏は、
デフレや不況のもとで、時価会計を導入した国はどこにもない、と指摘する。
氏が二〇〇
年に訪米した際に面会した政府の高官からは、「日本はなぜデフレのときに時価会計や
減損会計を導入するのか? 経済規模が縮小して、税収が激減するではないか
」と不思議
な顔をされたそうだ。
110
  しかも、日本では、時価会計がグローバルースタンダードだという触れこみから導入し
たわけだが、「国際基準」をそのまま「国内基準」にしてしまった国は、現在では日本だ
けだ
という。
  たとえば、かつては日本に時価会計導入を迫ったアメリカ自身が、リーマン・ショック
後には、金融機関が保有する有価証券(債券)などの損失の計上を先送りできるように、
新しい法律のなかに一時的な時価会計適用の停止を可能とする一文を盛りこんでいる

だ。
  リーマンーショック以降、金融資産が目減りしていくなかで時価会計をしていれば、な
にはさておき保有する金融資産を売る羽目
になる。しかし、時価会計をやめて原価会計に
すれば、決算期ごとに市場変動の影響を受けずに済む。とくに債券の場合は満期保有目的
といって、市場での売買を目的とせず、満期まで保有し利息収入だけを受け取ることを目
的とすれば、時価会計による評価損は計上しなくて済む
のだ。
  これまで売買目的にしていたものを、途中から満期目的に変更することを認めろとアメ
リカが国際会計基準審議会に対して言いだし、そのとおりになった
のである。これで、市
場で価格がいくら変動しても、これまで持っていた国債を売買目的以外に変更することが
でき、評価損をださずに利息収入だけをプラスとして計上できる

  かように、国際基準などは一国の都合に合わせて変更されるものなのであるそうでな
ければ、リーマンーショツク以降、アメリカの名だたる投資銀行などはハタハタ破綻して
いただろう。
▼景気を上下に増幅させる時価会計の罠
  時価会計ルールは、投資家の行動を短絡的なものにさせるという副作用をともなう。
  時価がそのまま決算に反映されるのであれば、景気拡大時には上振れの決算となり、景
気縮小時には下振れの決算になりやすい。その数字に投資家が短絡的に反応すれば、バブ
ルの熱狂はより過熱化する方向にむかうだろうし、崩壊のプロセスも激化することになる
だろう。つまり時価会計は、金融市場に生まれるトレントを増幅してしまうのだ。
  歴史を振り返れば、時価会計は一九三〇年代の世界大恐慌の引き金を引いたことが知ら
れている
歴史の皮肉かもしれないが、新自由主義の思想的牽引者であるミルトンーフリ
-ドマン白身、銀行の保有資産の劣化が恐慌の際に相次いだ銀行破綻の原因になったと分
析している。保有資産の劣化がなぜ起こったのかといえば、直前のバブル期に多くの金融
機関が時価会計を採用していたから
といえるだろう。
  というのも、実際には売買する前の、つまり利益も損失も確定していない評価額を財務
諸表に計上する時価会計は、企業の財務内容をバブルのときは実際よりもよいように見せ、
資産価格が下落する恐慌時やデフレ下では実際よりも悪く見せる傾向がある
からだ。大恐
慌前のバブルが弾けた後、連鎖的に銀行が破綻していったのはそのためだった
ことを、フ
リードマンの研究は示している。
  しかもその反省をもとに、一九三八年にアメリカはルーズベルト大統領のもとで、時価
会計を禁止し、原価会計へと会計基準を戻している
のだ。
  歴史を振り返っても、時価会計、原価会計を景気状況によって、使い分けてきたのがア
メリカである
。今も昔も、いざとなれば時価会計を推進していた本人が、時価会計は必ず
しも真の姿を映す鏡ではないと、覆してしまう
のである。
  こうした経緯ひとつをとってみても、海外から時価会計制度の採用を迫られても、景気
悪化などを理由に突っぱねる材料はいくらでもあったにもかかわらず、なぜ日本は鵜呑み
にしたのか

  ところで、取得原価主義から時価会計にアメリカがしょじょに戻っていくのは一九七五
年以降のことだ。喉元をすぎれば熱さを忘れてしまうのかもしれないが、大恐慌の反省を
忘れたがゆえに、アメリカがグローバルな金融帝国化を推し進めれば推し進めるほど、バ
ブル生成とその崩壊が繰り返されてきた
ことは歴史が示すとおりである。
▼本業が赤字でも配当金を配る大企業
 時価会計という決算の増幅装置は、企業経営も同様に短絡化させてしまう。とりわけ慢
性的なデフレ不況にあっては、たとえ業績回復期であっても、時価会計による下振れリス
クを恐れて、配当金や内部留保ばかりに目がむいた結果、人件費は抑制されたままとなり
がちだ。また、業績悪化の局面では、損失が表面化しやすくなるため、正規雇用を非正規
雇用に置き換えることで、利益の確保に奔走してしまう
ことになる。
  このように、株主資本主義化か進めば進むほど、企業経営側も株価の動向に敏感に反応し、株主への配当を重視するようになるのは当然だろう。
  そうしたグローバルースタンダードの株主優位性をよしとした結果、グローバルに活動
の場を見いだしている本邦の大企業も、また株主のIプレーヤー・として多額の配当金を受
け取っている状況
がある。
  たとえばある輸出大企業では、2012会計年度における受取利息および受取配当金は
九九八億円と、前会計年度にくらべて九〇億円(一〇・〇%)の増加
となった。このとき
の当期利益は二八三五億円なので、当期利益の約三分の一にあたる額が受取配当金となっ
ている
。しかもこの巨額な受取配当金は、「益金不算入」という法人税法の規定によって、
子会社や孫会社からの配当金であればほぼ全額が法人税の課税対象外となるのだ。
  ちなみに益金不算入の規定とは、ある企業が別の国内企業から配当金を受けた場合、全
部あるいは一部が課税所得から控除されるという規定
である。
  さらに、この益金不算入を活用すれば、本業での業績が赤字の企業でも、他社の株を持
つことで多額の配当金を受け取ることができる企業は、法人税を払うことなく自社の株主
に配当金をだすことが可能
になる。
  つまり、税務上は赤字であるがために法人税を支払わなくて済むうえに、会計上では黒
字となるため株主に配当金をだすことができる
のだ。大企業はこうした税制上の抜け道を
巧妙に活用して、巨額の配当金を受け取りながら、法人税を逃れている
きらいがある。
  旧来のメインバンク制を土台とした持ち合いとは異なる、新型の「持ち合い」が常習化
しているということだ。
  つまり、大企業が他社株式を保有し、巨額の配当を受け取っている以上、株主重視の経
営や高配当を求める
ことになる。
  事実として、株主重視の経営が慢性化した結果であろう、二〇〇〇年代なかごろまで企
業の純利益における株主配当は四割と言われていたが

2012年の四月には約七割にま
で上昇している。