かつて日本は1991年の湾岸戦争のときに130億ドル(1.3

兆円)

という世界最大の資金協力を行い、国内外で賛否を呼んだ。?

日米安保条約は大きく改変されている。
本格的な改変が行われたのは小泉政権下2005年10月29日。この日日本の外務大臣(町村信孝)、当時の防衛庁長官(大野功統)とアメリカの国務長官、国防長官が「日米同盟・未来のための変革と再編」という文書に署名した。「極東」に限られていた自衛隊の活動が「世界」になった。

戦いに自衛隊員の命を差し出すのは膨大な資金援助を表明した以上にむなしいことだ。?

なぜ不況で苦しむ人がいる日本が、アフガニスタンの警察官全員の半年分の給与を提供しなければならないのか。

?なぜ、政府は戦争の資金援助した上でさらに国民の生命を危機にさらそうとするのか。

古賀茂明

 

古い言葉でいえば、公務員とは「公僕」である。

つまり、国民のために

奉仕する。それが仕事であり

義務である。

 

「私」ではなく「公」のために働くからこそ、税金から給料が支

払われる。

ところが、現実は「公」そっちのけで「私」の利益拡大血道を上げている(夢中になる)

公僕

多数派であることは、

これまで散々見てきたとおりである。

くりかえすが、

日本の国家財政はいま危機的状況にある。

その赤字は

一時的なものではな

構造的なもので、

増えつづける借金返済の見通しはまったく

立たないばかりか、

税収を

じめとする

売り上げの向上も望めない。

正当化しようとし

ている。 「増税に反対すれば、どうなるかわかりませんよ。めちゃくちゃになったとしても、増税に反対した人の責任ですよ

 みずからの失政は棚に上げて、国民の不安を煽り、脅しをかけているのである。

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官僚一人のリストラで失業者五人が救われる

しかし、増税の議論をする際には、「政府の国民に対する説明」と「国民の政府に対する信頼」が絶対に欠かせない。とくに後者なくして、国民は増税に納得できるものではない。 では、政府が信頼を勝ち得るためにすべきことは何か−みずからが血を流し、痛みに耐

えることだろう。

 

現在の日本の財政状況は、民間でいえば民事再生や会社再生の申し立てを検討する段階と言っていい。そんな状況に陥ったとき、民間企業が真っ先にすることは経営陣の即刻退陣。

社員に対しても、クビ切りと言っても過言ではないかたちで人員を減らして人件費を削る。そのほか、さまざまなかたちでコストを削減し体質改善を図る。値上げというかたちで消費者に赤字ぶんを転嫁することなど、よほど景気がよくないかぎりできない。赤字だから値上げします、では、消費者から総スカンを食ってしまう。 にもかかわらず、平然とそれを行っているのが政治家と官僚である。彼らは自分たちの血をいっさい流すことなく、国民に負担を求めているだけだ。自分たちの身分や待遇はこれま

?

でどおり残すばかりか、「増税の一部は自分たちの保障に使わせてもらいます」と言ってい

るわけである。こんなムチャクチャなことが許されるだろうか。ただし、政治家には選挙というハードルがある。あまりにひどいことをしたと判断されれ

落選の憂き目を見る。このことが別の問題をはらんでいることはひとまずかいて、とにかく政治家たちは国民の審判を受けるわけだ。自民党は失政の責任を問われて政権の座を失

った。

しかし、公務員にはそれがない。その身分を手にしてしまえば、生涯、手放すことは

ない。とすれば、官僚はみずから進んで血を流すだけの覚悟がなくてはならないはずだ。国

民の信頼を得るために、その前提となる公務員制度改革にみずから踏み込む覚悟をもたなけ

ればならない。ギリシアが破綻を招いたきっかけの一つは、公務員の「身分制」を最後まで温存したこと

だった。このままでは日本も同じ道を歩みかねない。限られた国家予算を各部門で切りつ

め、国民へのサービスを削らざるをえない状況であるにもかかわらず、公務員だけはいまま

でどおりの生活が守られるのは、どう考えてもおかしい。

 突きつめれば、こういうことだ。

?

「国民の生活と公務員の生活、どちらを優先するのですか?」

「リストラにあって失業した」人に、「お父さんが失業した」家族を加えれば、失業の被害

者はいまや一一〇〇万人にも達する

?
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原発の安全神話が崩壊したいま、これからのエネルギー政策についても

ふれておく必要があるだろう。

 エネルギー政策には「国家の意志」が必要である。私はそう考えている。その意味でい

?

えは、これまでの日本のエネルギー政策における国家の意志は、「なにがなんでも原発推進」

というものだったといえる。

戦後、技術や資金がないだけでなく、地元や国民の理解も得られたとはいえなかったにも

かかわらず、国は原子力政策を推進した。税金もどんどん注ぎ込んだし、たとえば原発建造

のために必要なものを輸入する場合は、免税扱いとすることもした。漁業関係者が反対すれ

ば、国が後押しして懸命に調整に努めた。激しい反対運動が起こったときは、機動隊を導入

して抑え込むことさえあった。

 そこには強力な国家の意志が働いていた。だからこそ、これだけの原発をつくることがで

きた。弱腰でいたら、絶対にできなかった。いわば独裁的に断行したのである。

 この事実は何を示しているか

 国家の意志をもって事に当たれば、相当なことができてしまうということだ。

 とすれば、こうもいえる。これからは原子力ではなく、「なにがなんでも再生可能エネル

ギー推進」との決定が国家の意志としてなされれば、原子力から再生可能エネルギーヘの転

換を一気に進めることができるのだ、と……。

 現在は、風力発電所を建造しようとすると、電力会社は「発電量が天候に左右されるた

?

め、供給が不安定になる」との理由をつけて反対し、地域住民も「音がうるさい。渡り鳥

が犠牲になる。」などと文句を言う。安定供給可能で、しかも日本に向いているとされる地熱

発電にしても、環境団体の強硬な反対があるかもしれないし、温泉業界との調整もしなけれ

ばならない。

 しかし原発の場合は、そういうことを、なかば強引にではあるがクリアしていくことがで

きた。漁業権者との調整のほうがよほどたいへんだったはずだ。それが可能だったのは、国

家の意志だったからだ。

 とすれば、再生可能エネルギーヘの推進を国家の意志として行えば、それほど障害は高く

ない。たとえば発送電を分離し、発電部門をいくつかの適当な規模に分割すれば、送電会社

はどこの発電会社も差別せず送電することになるわけだから、政府は再生可能エネルギー発

電を行う発電会社を支援すればいいし、送電会社には、「天候によって上下する発電量に対

応するシステムをつくれ」と義礎づけることもできる。それができなかったのは、東電をは

じめとする電力会社の力が、実質的に政府や経産省よりも大きかったことが原因なのだ。

そもそも太陽光、地熱、風力発電の研究は、私か入省した一九八〇年以前からずっと行われている。にもかかわらず研究の目的が、実質的にはメーカーの二流技術者の失業対策と天下り先の碓保でしかなかったため、いっこうに進展しなかったのである。本腰を入れてやれば、実用化は一気に進むはずだ。 再生可能エネルギーによる発電はコストが高いとされる。そのため電力料金が上がり、企業の競争力がそがれるとして、とくに経済界や電力業界からの反対が強く、そこから献金を受けたり組合の支援を受けている政治家も脱原発には及び腰だ。 しかし、「なにがなんでも再生可能エネルギー推進」と国家の意志がまとまれば、事は大きく変わるだろう。?国民投票で脱原発を。

?

 

ところで、ここで言う国家の意志とは本来、国民の意志でなければならない。原発の場合は、はたして、ほんとうに国民の意志だったのか。現実には、自民党の意志でしかなかったのは明らかだろう。 国民の意志を形成するには、われわれ国民一人ひとりが判断しなければならない。しかし現状のまま是非を問われても、多くの国民は迷うのではないか。その原因は二つある。

?

一つは、だれの言うことを信じたらよいのかわからないということだ。

 経産省と原子力安全・保安院が一体、すなわち推進側と規制側か一体である状況において

は、保安院の言うことも推進側に立った見解でしかないと思われる。よって、まずは保安院

を経産省から切り離して独立機関としなければならない。

 それにしても、経産省や保安院の幹部は、津波の基準を甘くした責任者である。そんな人

間たちの言うことは信じられないし、その責任を問わない大臣も信用できるわけがない。

 さらに、電力会社に多くの天下りを送り込んでいる現状を見るかぎり、経産省は電力会社

と癒着していると思うのが自然な感覚だ。

 したがって、原発行政の責任者、とくに津波の危険を知りながら甘い対応しかしなかった

幹部は即刻退官し、退職金も返上、むろん天下りなど言語道断、このような明確な対応を

させるべきであり、経産省は全電力会社に天下り職員を退任させるよう要請しなければなら

ない。

 その程度のことすらできないとなれば、やはり電力会社との癒着があるとみずから認めた

に等しく、事故は絶対に起こしてはならないとする規律ある組織ではないことを内外にさら

け出すことになるだろう。原子力行政に対する信頼を取り戻す措置をただちに講ずることが

求められる。

 われわれを悩ませる二つ目の問題は、エネルギーに関する重要な情報が開示されていない

ということだ。

 今回の事故情報の開示はようやく始まりつつあるが、すべての原発の安全に関する情報を

公開するのはもちろんのこと、企業の経営情報も原則公開させるべきである。そうしない

と、電源ごとのコスト比較ができない。「企業秘密」を盾にこれまで隠蔽されてきたが、そ

もそも競争していないどころか、消費者を人質にとっている電力会社の経営情報を守る必要

などない。電力会社の情報は、消費者のそれと同義と言ってもよい。経営情報、なかんずく

コスト情報は領収書まで公開すべきだ。これをやれば、おそらく電力会社の高コスト構造が

是正され、大幅な電力料金引き下げにつながるだろう。

 このような流れで、原子力行政組織の信頼を回復して、電力に関する情報を全面開示した

うえで、国民投票で原発政策の基本方針を問うべきだ。現在は国民投票法が存在しないが、

これをただちに制定し、2012年までに実施すべきである。

 再生可能エネルギーヘの転換をめざすのか否か、われわれ国民が、みずからの意志とし

てどちらを選び取るのか、今度こそ国民の意志を示すべきときがきている。

?

消費増税に踏み切るのが責任ある政治家だとの誤解があるが、そうではない。いま述べた

ように

既得権グループと闘える政治家こそ真の責任ある政治家なのだ。消費者と闘って増

税することが政治家の本分などということは本来あってはならない。消費増税を小さくして

?

も大丈夫な道筋をつけることに命を賭けてほしい。私は心からそれを願う。

 そして公務員改革を断行して、官僚が真の政治家を全力で支える。それが理想だ。

 しかしながら現実には、それがかなう可能性はかなり低いと言わざるをえない。日本の財

政破綻は「想定外」に早く到来する可能性が高くなっていると言っても過言ではないだろう。

 だからこそ、

?

一刻も早い公務員制度改革が必要なのだ。

日本が将来に向けて行わなければ

ならないさまざまな改革を、効果的に進める大前提となるのが公務員改革だからである。役所に限ったことではないが、あるものを別の方向へ変えようとすると、必ずそれを押し

?

戻そうとする力が働く。したがって、まったく白紙から線を引きなおすしかないのだが、役

人にそれをするだけのインセンティブはない。

 つまり、官僚に自浄能力は期待できないのだ。

 とすれば、変えられるのはやはり、政治家だ。とはいえ自民党は、かつての自民党体質を

拭えない長老たちに支配されている。彼らに変革を求めるのは無理だ。なぜなら、彼らは

僚に育てられたと言ってもいいからだ。

?

?

政権を担っていたとき、自民党の議員たちは、官僚からレクチャーを受けなければ政策を

立案できなかったし、業界団体とのつきあいも官僚におんぶに抱っこ。法律を通す際には、

利権の一部を官僚に分けてもらうことすらあった。

 もっとも、逆に官僚が政治家の分け前にあずかることもあるわけで、要するに自民党の政

治家と官僚は、もちもたれつの関係なのだ。官僚の利権を切ろうとすれば、自分の利権も

切られてしまうし、不必要だからといって、ある協会をつぶしてしまえば、その協会にパー

ティ券を売りつけることもできなくなる。要するに、一種の共同体だったのである、官僚と

自民党は……。

 その点、民主党にはそういった縛りがないぶん、官僚に妙な気をつかう必要はなかった。

?

労働組合を除けば、外部団体とのしがらみも比較的少なかった。改革を断行できる土壌はあ

ったのだが、すでに述べたような理由で挫折。結果、むしろ官僚支配が強まってしまった。

 とはいえ、「変えよう、変えなければいけない」というメンタリティは、まだ失われてい

ないと私は見ている。政権に就いてかなりの時間が経過したことで、官僚とのつきあい方や

使い方をそれなりに学び、身につけたはずである。